対人恐怖症が治りました

ひきこもり、社会不安障害(SAD)の方にも、お役に立てると思います。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

症状を消さないために

緊張するかもしれない
緊張した
緊張して恥をかいた
緊張することをビクビク怯えるようになった

緊張する場面を避けるようになった
緊張していないフリをするようになった

赤面するかもしれない
赤面した
赤面して恥をかいた
赤面することをビクビク怯えるようになった

赤面する場面を避けるようになった
赤面していないフリをするようになった

視線が気になるかもしれない
視線が気になった
視線を気にして怖かった、迷惑をかけた
視線が気になることをビクビク怯えるようになった

視線が気になる場面を避けるようになった
視線が気になっていないフリをするようになった

顔がひきつるかもしれない
顔がひきつった
顔がひきつって恥をかいた
顔がひきつることをビクビク怯えるようになった

顔がひきつる場面を避けるようになった
顔がひきつっていないフリをするようになった

僕の対人恐怖症はこんな感じの流れでした。この流れを変えようとしていたので、そもそも、緊張しない人、赤面しない人、視線が気にならない人、顔がひきつらない人になろうと考えていました。

でも、実際、今対人恐怖症が治って感じることは、

ビクビク怯えながら緊張する→堂々と緊張できるようになった
ビクビク怯えながら症状をだす→堂々と症状をだせるようになった

こういうことだと思います。緊張した時の心構えが変わっただけで、緊張しなくなったわけではないです。心構えが変わったので当然緊張する場面は極端に減りますけど、これは後からついてくる付加価値みたいなものだと思います。

なので、症状を消さない心構えがあると、間違った努力をしなくなるのだと思います。

症状が辛いので、症状がなくなれば楽になるだろうと、普通は考えると思うのですが、これが対人恐怖症の最大のワナで、治りにくい理由でもあると思います。

対人恐怖症の人の辛さが10だとすると、普通の人は0だろうと考えてしまいますが、実際は1は必ずあると思います。

なので、0を目標にすることが、そもそも間違いなんだろうと思います。目標は1で、緊張することもありますし、視線が気になることもあります。これはどうすることもできない普通の感覚なので、これを0にすることは無理だと思います。無理な事を例えば10年頑張ったとしても、無理なものは無理だと思います。

僕が言いたいのは、症状を消すことを目標にするのではなくて、堂々と緊張することを目標したほうが良いということです。(再発防止にもなると思います。)

しかし、一旦対人恐怖症になると、現実はそれが難しいので、「出来る場所でできることをする」ことが必要になるのかもしれないです。

例えば、森田療法が凄いと感じるのは、一旦、今までの生活環境から離れるので治りやすいのだろうと思います。でも、実際に一旦今までの生活環境から離れられる人は少なくて、会社勤めしながらとか、学校に通いながらでないと生活していくのは難しいだろうと思います。

僕の場合は、仕事をして収入があることが絶対条件だったので、「出来る場所」を探すのに転職を繰り返していたのかもしれません。本当は長く勤めるために、周りと仲良くして気分よく働きたかったのですが、僕には出来ませんでした。

でも、出来る人は出来るのだと思います。僕のように転職を繰り返さなくても、同じ会社に居ながら少しづつ楽になっていく人もいるだろうと思います。

「私たちは同じ平面を歩いているのであり、ここには優劣はありません。それぞれの人が自分自身の出発点、道、目標を持っており、自分で望むように、あるいはできる形で早く、あるいはゆっくり進んでいくのです。大人も子どもも、教師も生徒も、役割は異なるけれども、優劣の関係ではないのです。もっとも「同じ」であるといっているわけではありません。知識も経験も多少は(あくまでも多少)違いますし、取れる責任の量も違います。」
アドラー心理学入門 岩見一郎 91ページより

人それぞれなので、ゆっくり進む人もいますし、出発点も違います。

幼い頃に自分が劣っていると感じてしまう環境だった場合に、大人になってからそれを悔やんでもどうすることもできないと思います。僕の場合は父親がいなかったこととか、自分の家にだけゲームがなかったりしましたけど、同じ環境でも深刻に悩む場合とそうでない場合があると思います。劣等感は自分が作り上げたもので、ただの勘違いだったと大人になってから気が付いたのだと思います。

すべての人に対して、同じではないけれど対等だという横の関係の意識が出来るようになると、自分よりも優れていると感じていた人に対してハッキリと自分の意見が言えるようになると思います。

それと同時に自分より劣っていると感じていた人に対しても、対等な立場で意見が聞けるようになると思います。自分がバカにしている人、自分よりも優れていると感じている人、全ての人に対等でありたいです。







関連記事

ぺんぎんさんへ

ペンギンさん、こんばんは。

物凄く詳しく書き込んで頂いたのでありがたいです。すごくわかりやすくて、ペンギンさんや先生の言われていることは凄く理解できます。

焦る気持ちはわかりますよ。僕もそうでした。自分なり考えて悩みまくっていましたけど、手も足も出ない感じでしたね。

頭の中を自分なりに整理して冷静に考えてみても、どうやっても解決策が見つからなかったです。2日で仕事辞めたこともありますし、1か月で辞めたこともありました。

転職を繰り返して自分なりに考えた結果ですけど、症状があってもなんとかやっていける職場でないと働くことは難しいと考えるようになりました。

僕の場合ですけど、自分のやりたい職種とか夢をいったん保留にして、なんとかやっていける職場を探していたように思います。

対人恐怖のない人から僕の行動を見ると、多分ですけど「忍耐力のない人だな」と思われていたと思います。でも、対人恐怖症になると、他人が理解できない行動をとらなければ自分が維持できないというのはあると思うので、自分が情けなく感じることはあると思います。対人恐怖症の辛いところですよね。

自分では「自分はもっとできるはずだ」とか考えますし、努力しようにも結果がすぐにでないので不安にもなりますよね。人それぞれだと思いますけど、僕の場合は何年も掛かりました。

割と早く治る人もいると思いますけど、僕のように時間が掛かる場合は、やはり自分なりの人生で「自分は自分」という開き直りみたいなのも必要なのかもしれないです。

他人から見て理解されないだろうと感じても、自分なりの生き方をしていくしかないのかもしれないです。

僕の場合ですけど、自分が壊れないようにするための行動を逃げることだと感じていました。多分ですけど周りから見ても「逃げてるんじゃないの」と思われていたと思います。

自分にやさしくできるのは自分だけなので、最終的に信用できるのは自分だけで、周りに合わせていても自分が壊れそうになった時に周りに助けてくれないので、自分の身は自分で守る必要はあるように思います。

なので、僕の場合は、当時子供がいましたけど、妻に相談もせずに会社を辞めてきたりとかしましたし、金銭的にギリギリだったのに、カウンセリングに行ったりはしました。

多分、周りから全く理解できない行動だったと思います。でも、それしか自分を保つ方法がなかったです。結局離婚しましたけどね。

何を書きたいのか自分でもよく分からないですけど、僕の場合は、逃げて考えて、逃げて考えての繰り返しだったと思います。

対人恐怖症がありながら、自分なりの生き方ってあるように思います。ペンギンさんも言われているように、治すことを目標にするのではなくて、治さずにどうやって生きていくかということが、治す方法の最短距離なのかもしれないですね。

それと、視線恐怖に関してですけど、僕は専門家ではないので正解ではないと思いますけど、自分が思うことを書きますね。

見られている感覚、自分が見ている感覚、気になっている感覚、気にされている感覚、というのが僕の場合の視線恐怖にはあるんですけど、それが視線恐怖の症状だとして、その症状が辛くて恐怖なので、その感覚を消し去ろうと考えるんですよね。

そして、その感覚を「イケないこと」「感じてはダメ」とか、まるで悪いことのように考えるようになっていました。これは僕だけかもしれないですけど。

その感覚のことを「他人は自分が思うほど見ていない、見られていない」という人もいます。確かに、それはそうなんですけど、症状がない人だと、そう考えるのが正論だと思います。僕の個人的な考えではですけどね。

僕の考えでは、対人恐怖症の人がその正論の考え方をすると悪くなると思うんですよ。

理由は、実際は他人は自分のことを見ますし、気にしますし、自分も他人を見ますし、気にするからです。どこかも記事でも書いた記憶がありますけど、恐怖だと感じている自分の感覚は、実は当たり前の感覚で、必要な能力だと思っています。

例えば、自分が椅子に座っていたときに、誰かが隣に座れば「誰だろう」と気になって誰なのか確認するために顔を見ると思いますけど、その行動が当たり前なので恐れる必要は本当はないのだと思います。

逆に、後から自分の横に座る人は、座る前に「誰だろう」と顔を確認しながら座りますよね。これは自分の身を守るために必要な能力だと思います。

なので、自分が見られることも見ることも必要なことだと思います。視線恐怖がない人は、それを無意識にしている当然の行動なんだろうと思います。

ですが、いったん視線恐怖になると、その感覚が恐怖になって、なかったことにしたり、感じていないフリをしたり、消し去ろうと考えるのだと思います。

でも実際は必要な能力なので消しさることはできませんし、気になるものは気になりますし、見る必要があるときには見ます。

なので治す方法として「症状がありながらやることをやっていくしかない」という結論になるんだと思います。

問題なのは、普通の感覚を、恐怖のように感じてしまうことだと思います。「見られている、気になる」という感覚を恐怖ではなくて、普通の感覚だと思うことが出来るまで、症状がありながらやることをやっていく必要はあると思います。

それが正しい努力ということになると思っています。でも、これは僕の場合なので他の方の視線恐怖とは違うのかもしれないです。僕の場合で書いているだけなので。

間違った考え方かもしれないので、また、書き込みして頂ければありがたいです。僕の考えが間違っていれば修正したいので。




「例えば、森田療法が凄いと感じるのは、一旦、今までの生活環境から離れるので治りやすいのだろうと思います。」
僕もどうにもならないので、入院森田療法をやろうと思ったことがあります。慈恵医大病院だけで、かなり高額だったと思います。
通っていた心療内科の院長は、赤面恐怖でとても苦しみ、森田療法の指導で治ったそうです。(症状を言い訳にせず、日常生活・社会生活を過ごせるようになっている。)
院長が言うには、「自分の頃の入院森田療法は、神経症(対人恐怖もろもろ)を実際に体験し、克服した先生が指導していた。しかし、今の入院森田療法は、神経症体験のない先生が指導している。だから、本当のところの指導ができていない。」と言っていました。
また、入院した人の一人は少しよくなって帰ってきて、一人は悪化して帰ってきたそうです。
なので、森田療法で克服した先生の病院ですが、「入院森田療法」はおすすめしないとのことでした。(現在、慈恵医大病院でしか、行っていない。)
先生自身、入院森田から退院したからといって、悩まなくなったかというとそうではなかったようです。相変わらず、赤面や人の視線が気になっていたと言っていました。症状はありながらも、目的本位に生活したそうです。

森田療法は神経症を「治す」というより、「症状があっても目的本位に行動できたかどうか」を大事にするんだと思います。(治すことを目的にして行動すると、余計にこじれるから。)

ここまで自分と書いといてなんですが、「目的本位。目的本位って、いくら行動しても相変わらずしんどいし、症状は無くならないじゃないか。」と思います。僕も症状を「無くそう、無くなれ!0にしたいんだ。」と考えがちです。でも、視線が気になるのは、ずっと変わってないです。
しかも現在、社会的には引きこもり状態だし、時間がただただ過ぎているのですごく焦ります。
「もうどうすれば良いんだよ・・・」って感じです。

コメントの投稿

URL
コメント
パスワード
秘密
管理者にだけ表示を許可する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。