対人恐怖症が治りました

ひきこもり、社会不安障害(SAD)の方にも、お役に立てると思います。

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考え方の幅を広げられなかった理由

僕の対人恐怖がいちばん辛かったのが高校生の頃です。

それから、ずっと悩んできたように思います。治そう治そうと考えたり、いつ楽になるんだろうとか考えて不安が大きかったです。将来に期待をもっている自分と将来を不安に思う自分がいました。

自分の考え方の幅を広げようという発想はなかったです。

対人恐怖症の事だけに目を向けている状態だったと思います。辛かったので当たり前なんですが、それが悩みで、そのことしか考えられなかったんだと思います。

誰かと会話するときもそうですし、家にいる時も、会社にいるときも、常に自分の対人恐怖のことを考えていたと思います。

例えば、友人と会話している時に、「あっ、この人はこういう考え方をするんだ」と、じっくり考えてみるということができませんでした。

僕の場合は友人が発言したことも、うわの空だったと思います。

何故かというと、友人の発言に対して受け答えする自分を意識していたからだと思います。自分の中で理想だと考える受け答えの仕方をしないと相手から嫌われるという恐怖があったからだと思います。

「今、笑顔で返事するのが普通の人なんだろうな」「今、笑わないとイケないんだろうな」とか、そんな感じだったと思います。

自分がどう思われるのか、どんなタイプの人間に思われるだろうか、そんな風に考えていました。

相手の発言をじっくり考えて、「こういう考え方をする人もいるんだな」という思考にはならなかったです。自分との違いを深く考えて、その考えを受け入れたり否定したりすることをする以前に、自分がどう思われるのかを考えていたと思います。

この状態の自分は何年も続きました。もしかすると、もっと早くに、この間違った努力(自分を良く見せよう)に気付き、正しい努力(考え方の幅を広げるために相手の話をじっくり聞く)をしていれば、楽になれたのかもしれません。

視野が狭かったのかなって思います。そう考えると、悩んでいる時に旅をして、「こんな小さなことで悩んでいたのか」とスッキリしたという話は納得できるような気がします。

学生の頃は、まったく考えもしなかったのですが、「自分の考え方」「自分のものさし」が、自分では正解のように感じることがありますが、実際は世の中には様々な考え方の人がいて、自分の考え方はそのひとつにすぎないのだろうと思います。

なので、自分の考え方が偏っていることは十分に考えられます。それが個性になるので、それはそれで良いのだと思いますが、他人の考え方を知ることで自分の考え方の幅は広がりますから、どんな相手でも「そういう考え方の人なんだ」と受け入れることができるようになると思います。

そうなると、ちょっとしたことでイライラせずに、自分が楽に生きることが出来るようになるのかなって思います。イライラする時は、「自分に原因がある」といいますが、その通りだと思います。

逆に、相手がイライラしている時に、その相手のことが理解できるようになって、ムカつくことも少なくなることはあると思います。

一生のうちで、自分がイライラしたり、気分が悪い時間の割合は、できるだけ少ないほうが自分にとってプラスになると思います。イライラして得することはないですからね。

心穏やかに、ほわほわした感じで過ごすことができれば、素敵だなって個人的に思います。

ちょっと違う話ですが例えば、周りに誰もいない状態で自分と幼稚園児の2人きりだとして、幼稚園児が迷子になっていて困った様子だったときに、「どうしたの?」って声を掛けますよね。この場面を想像してみると自分の発言に対して「自分はどう思われるのか」ということよりも、その子の話を深く理解しようと、目線を合わせて話しかけると思います。

僕の考えでは、この状態の時は対人恐怖症は治っていると思います。治っている状態なので、相手の言葉だけに集中できるのだろうと思います。

僕の場合ですが、「自分のことで精一杯なので何もしない、何もできない」という感覚でしたが、実は、自分のことで精一杯だからこそ、周りに目を向ける必要があるのかなって思います。

自分に目を向けている状態だと、「自分の考え」だけが全てで、その小さな枠の中での解決策を模索することになると思います。

結局、僕が考え方の幅を広げることができなかった理由は、対人恐怖症だったからだと思います。

対人恐怖症を楽にするために、考え方の幅を広げることが必要なのだと思いますが、現実は対人恐怖症だから考え方の幅を広げることが難しいのだろうと思います。

しかし、それを理解したうえで、相手を理解しようと努力することは
正しい努力だろうと思います。

相手が幼稚園児の場合では愛情で会話することができそうです。この時、対人恐怖症は治っている状態だとすれば、相手が変わって幼稚園児ではなくても愛情で接することができれば、対人恐怖症は治るのかなって思います。

自分のことで精一杯だからこそ、愛情で接することが必要なのかもしれません。

早く直さなければと考えることはありますが、実は、その前に相手の話をじっくり聞きいて愛情で接することや、考え方の幅を広げることが、遠回りのようで治すための近道なのかなって考えたりします。

この考え方自体も、様々な考え方の一つにすぎないのだと思いますが、僕的にはそう思います。


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