対人恐怖症が治りました

ひきこもり、社会不安障害(SAD)の方にも、お役に立てると思います。

心屋さんのカウンセリングに学ぶ肯定する考えグセ

心屋仁之助さんのカウンセリングで、よく相談者が泣きながら発言している場面がありますよね。そして、気持ちが楽になってカウンセリングが終了します。

心屋さんの本にもありますが、今まで捨ててきた嫌な自分を拾い集めているんだと思います。これは、心屋さんのカウンセリングで共通している部分でもあると思います。

捨てているつもりのものが、結局は大きくなっていて、自分で拾ってあげないと悩みが深くなるんでしょうね。そして、それに気がついて拾い始めると涙がでるのだと思います。

実は、捨てているものって、隠しているだけで捨てきれていないんでしょうね。心屋さんに直接質問しないとわからないですが、受け入れることができて初めて捨てることができるのかなって思います。

性格リフォーム心理カウンセラーの心屋仁之助さん
まわりの人と「上手く付き合えない」と感じたら読む本


この本に書いてある少し気になった部分を紹介します。

問題が解決していない状況で、問題が解決した時に使う「ま、いっか」を口癖にすれば「ま、いっか」の状態になれるはずです。

「ま、いっか」を言うことで、とりあえずでいいから「現状を肯定する考えグセ」をつけるのです。

「ま、いっか」というのは「損してもいっか」ということなのです。


かなり省略しましたが、気になる人は本屋で探してください。この方の本は、難しい言葉が一切使われていません。誰にでもわかるように書かれています。

そして、愛情についても書かれています。

自分のことを疑ってほしいのです。
「本当に自分には「ない」んだろうか」「本当に、もらってい「ない」んだろうか?」「本当に自分は愛されてい「ない」んだろうか」とね。

こんなことを書かれています。

自分にはないと感じているものでも、疑ってみることで、誰もがもっているものなんだと気付くことができるんだと思います。

こんな自分には「愛情なんてもらえない」「もらっていない」と考えることはあると思います。でも、誰かに愛情をあげることで、自分が愛情をもっていることに気がつきますし、「愛情をもらった」ことを今まで見て見ぬフリをしてきた自分に気付くことができると思います。
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匿名さんへ


コメントありがとうございます!

養老孟司さんの話を読みましたが、生い立ちが僕に似ていると思いました。もしかすると、父親のことも関係あるのかもしれせん。養老孟司さんも3人兄弟で挨拶ができなかったみたいですね。

リンク先のサイトは良いサイトですよね。カウンセリングルームなんですね。温かい感じのする良いサイトだと思います。考え方についても詳しく書かれているようなのでまた読ませてもらおうと思います。

匿名さんが言われている自分で自分の何かを認めたくなかったというのは、僕もそうなんだろうと思います。匿名さんに言われて、そういえば、父親のことが原因でもあるのかなーって思います。

家に帰ってくるのか、帰ってこないのかが分からない状況が長かったように記憶しています。

幼い頃なのでハッキリとは覚えていませんが、ずっと父が帰ってくると思っていて、実際に帰ってきたり帰ってこなかったりで、結局は帰ってこなくなりましたが、気持ちの整理ができずに、父のことは話さないという暗黙のルールになっていたところがあります。

離婚したかどうかも、よく分からないままでしたし、母親に聞くこともなかったです。

ギャル曽根さんも、以前テレビで同じようなことを言ってました。それも関係しているような気もします。僕自身は、母に苦労を掛けた父を恨んでいる気持ちはどこかにあるんだろうと思いますが、正直わかりません。

もしかすると、50歳くらいなったときに、何か自分で気づくこともあるのかなーって、養老孟司さんの話を読んで思いました。

ブログでは色々と、それらしいことを書いていますが、自分自身をよく理解してないのは僕自身なのかもしれません。

やはり、誰かの話を聞くことは大切で、自分を知る切っ掛けにもなるんだなーとあらためて思いました。

多分、人って自分が一番正しいとか思いこみやすいんでしょうね。いろんな人の意見とか考え方を知るだけでも、自分にプラスになるなって思いました。

話がそれましたが、結局は劣等感だろうと思います。「対人恐怖症と共に」のブログにも書きましたが、0~100理論で劣等感ができたんだと思います。それが、視線が気になった原因だと思います。

匿名さんが言われるように、劣っていると感じている部分を認めたくなかったんだろうと思います。

先日はご返事ありがとうございました。

先日はご返事ありがとうございました。(匿名と名乗ったものです。)

今回のブログを読んでいたら養老孟司さんの地下鉄の話(ご存知でしたら蛇足ですがhttp://www.appuyer.jp/counseling/youro-takesi.html)を思い出しました。

自分も何かきっかけがあって人と目を合わすことが苦手になってしまったのかもしれません。

僕は人と目をあわせることを怖いと感じるのですが、それを口で指摘されるとさらに固まります。なんかできないんです。相手に知られたくないというか、自分を引っ込めてしまうんです。

筆者様はなにか振り返ってみて、自分が人の視線を恐怖に感じてしまっていた原因など思い当たりますか?

僕の場合は、自分が自分の中の何かを認めたくないときに、相手にも、その何かを自分は認めていないと認めさせたくて、コミュニケーションが止まってしまっている気がします。

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