対人恐怖症が治りました

ひきこもり、社会不安障害(SAD)の方にも、お役に立てると思います。

緊張するときと緊張しない時の違いって何だろう?

僕の経験からですが、緊張するときって自分を良く見せようと考えている場合が多いようです。例えばカラオケで自分が歌うときに緊張するときは、歌がうまい人、声がいいね、カッコいい、とか思ってもらえるように工夫したり考えたりしている場合は多いです。

逆に、緊張しなかった場面のエピソードもあります。以前働いていた職場でちょっとしたミスをしてしまい社長に呼ばれて説教されていたときのことなのですが、ミスをしたことを色々と会話した最後のほうに付け足しで「君はもう少し社交的になったほうが良いよ。わいわい騒いでいるとこ見たことないし、自分でそう思わない?」って社長に言われました。

その時に、ちょうど自分の真後ろに社交的ではない職場の人がいたので、その人にハッキリと聞こえるように少し大きめの声で「そういうのは全く思わないです。僕は仕事をしに来ているので、仕事だけキッチリやっていれば良いと思っています。楽しい話をしに来てるわけじゃないので。。。。」

ちょっと強気にも思えるこの発言。逆に強がっているだけの負け惜しみにも聞こえなくもない。

僕は思っていることを言葉にしただけです。正直、社交的な人に憧れがあるのは確かなので自分でも少し社交的になったほうが良いとも思っていました。

ただ、この時は自分のうしろに社交的でない人がいたので、「社交的でなくても大丈夫なんだ」ということを伝えたかったというのが本音です。

この時に自分で気が付いたのですが、全く緊張することはなかったです。多分、自分の為の発言(自分を良く見せようとか)ではなくて、後ろにいる人の為に発言したので緊張しなかったのだろうと思います。

そういえば、今までに緊張した場面や緊張しなかった場面を思い出してみると、この法則に当てはまりそうです。自分のことを考えている時は緊張して、他人のことを考えている時は緊張しないようです。

僕は経験ないですけど、例えば音楽の発表会で自分を良く見せようとすれば緊張するでしょうし、逆に自分のことを考えずに誰かの為に演奏すると緊張しないのかもしれないです。

そう考えると、愛情で会話すると緊張しないのも理解できます。人それぞれに思い当たる場面はあると思います。

多分、理想論になるんでしょうけど、どんな相手にも(例えば自分を嫌っている人)愛情を持って接していれば緊張しないのではないかと思います。返ってくるかどうかは考えずに(見返りを求めず)自分から愛情を注いでいれば自分自身は幸せになれるのかもしれないです。

昔、社長に「働くとは、はたをらくさせること」というのを聞いたことがあります。ここで言う「はた」というのは自分の周りの人のことなので、近くの人を楽させるためにすることを「働く」と言うんですよ。こんな感じだったと思います。

ちょっと話がそれましたけど、自分の中に幸せを求めるのではなくて、実は幸せになる要素は目の前にいくらでもあるのかなって思います。それに気づかずに自分の中に幸せを求めていると、それは難しいのかもしれないです。

なので、自分を変える必要はなくて、目の前の人たちとどうかかわるかだけが人生の目指すべきところだったりするのかもしれないです。

思いつきで書いているので自分でも意味が分かりませんけど、読んでいる人はもっと意味が分からないと思います。

ちょっとカッコいいこと書こうと思ったのですが、眠たくなってきたので寝ます。大阪市はもうすぐ住民投票ですね。皆さん投票しましょうね。

落ち込んでいた日々

以前はよく落ち込んでいたなーと、ふと思い出しました。

毎日落ち込んで暗くなっていた時期のことをたまに思い出します。振り返ると大したことでもなかったようにも思いますが、当時の自分にとっては凄く大したことだったと思います。

手も足も出ないお手上げ状態で、自分では頑張っているつもりでも、全てが上手くいかないことは多かったです。

周囲の人たちみたいに気軽に会話したくても、どうしても構えてしまって、楽しいはずの空間なのに自分だけが緊張していたり、症状で悩んでいることも多かったです。

どうして自分だけが周りと同じように普通に出来ないのか、周囲の人たちは何も苦労せずに自然にやっていることなのに自分だけが、普通は気にもしないようなことを一人で考えているのだろうか。こんなことで悩んでいるのは自分だけだろうとか。

自分から見て、わがままな人、悪口ばっかり言っている人、性格の悪い人、色々といますが悩む様子もなく楽しそうに生活しています。

そんな状況で、ちょっとミスをした人がいると、内心ほっとする自分に気が付いたりすることもありました。そんな自分の感情を発見して、さらに落ち込むこともありました。(なんでこんなに性格悪いんだろう)

落ち込むと、ひたすら落ち込んでしまいます。底が無いんじゃないかと思うくらいにどんどん落ち込んでいく時もありました。さすがに、このテンションで今日一日過ごしたメンバーと明日も同じかと思うとぞっとします。

こういう時に、僕の場合は学校を休んだり、就職してからは会社を休むこともありました。

でも、休んでもゆっくり休めないんですよね。体は休んでいても脳が動いているっていうか、悩んでいるのでしんどかったです。休んでいるのにしんどいって最低ですよね。

いつまで、こんなに苦しいんだろうかとか色々考えました。自分の人生はずっとこんな感じなんだろうかとかも思いますしね。

「よく耐えたで賞」みたいなものがあれば、あげたいですね(自分に)でも、もっと辛い人は多いと思うので、その人にあげたいです。

テレビとかでよく聞きますけど、悪い記憶は忘れて、良い記憶だけが残っていくとか言いますよね。そう言えばそんな気もします。嫌な思い出って少しずつ忘れていくのでしょうか。でもトラウマだとずっと残ったりするでしょうし、よく分からないです。

僕の場合は学生時代すごくつらかったですし、友達もほとんどいませんでしたけど、今となってはそれほど嫌な記憶でもないですし、嫌いだった同級生と偶然どこかで会っても普通に会話するでしょうし、相手も僕のことを嫌いだという意識はないだろうと思います。

お互いに大人になって、学生時代の小さなわだかまりは気にしないだろうなって思います。

何の話かよく分からないですけど、ふと「昔はよく落ち込んでいたな」って思いだしたので書いてます。書いているっていうかキーボードをパチパチやってるだけですけどね。

大阪都構想はどうなるんでしょうね。関東の人はあまり関心がないのでしょうか、そんなこともないですよね。投票はできないですけどどうなるか気になっている人は多いだろうと思います。

先日、市外のお客さんに「賛成に投票したいけど市外だからできないので代わりに投票しといて」って言われました。元々僕は賛成にしようと思っていたので「分かりました」って答えましたけど、市外の人もかなり関心あるようです。同じ大阪なので当たり前なんですけどね。

大阪都構想に賛成?反対?

もうすぐ住民投票ですね。5月17日

投票に行くのは、大阪市民の6割くらいなんでしょうかね。もちろん僕は行きますけど、これで将来変わりますから反対なら「反対」、賛成なら「賛成」って書いて投票率が上ることを願います。

人それぞれなんでしょうけど、僕は反対の意見があるのがよく分からないです。なんで反対するんでしょうね。でも反対派の人からすると賛成の意味が分からないってことだと思います。

別に反対派の人に賛成を強要するつもりはないですけど、僕自身は賛成です。

普通の選挙の時によく感じることですけど、「〇〇党に投票してね」とか言われた経験は誰でもあると思いますけど、僕はあれが嫌いでして、自分の投票は自分で決める事なんで、他人に言われて支持していない政党に投票するのはどうかと思いますしね。

選挙の時って、いつもお客さんに「〇〇党に投票してね」とか言われますけど、返事に困ることは多いです。

宗教とか支持政党のことは他人に話すと面倒くさいことになるので、普段あまり話題にしないように心がけている人は多いように思います。僕もその一人です。

昔、宗教の悪口は他人の前で絶対言ったらダメって言われたことがありますけど、確かにそうで、言わないだけで信仰している人はいるので「この人宗教に入ってないな」と思っても言わないほうが人間関係は上手くいくように思います。

余計なこと書くと批判が来そうなのであまり書きませんけど、賛成でも反対でも住民投票には行くべきだと思います。

毎日新聞の世論調査では反対のほうが多いようなので、僕の考え方は少数派なのかもしれないですけど、都構想推進派の意見はすごく理解できますし、逆に反対派の政党の意見とかを聞くと批判だけで筋が通っていないように思います。

でも反対派の人からすると、「騙されてますよ」ってことになるんでしょうね。人それぞれなので、どちらでも良いと思いますけど、投票だけは行くようにしたいですね。

残念です。大阪都構想なくなりましたね。

大阪都構想は反対多数で否決されちゃいました。

これで、都構想は廃案になったので、2度と議論されなくなるのでしょうね。本当に残念です。でも、これが自然な流れだったのかもしれないです。反対の意見が多かったので反対派の意見が正解だったのかもしれないです。

10年早かったのかなって思います。今住民投票せずに10年後だったら賛成多数で可決される可能性はかなり高いように思いますけど、今のこの流れで反対多数になったので、10年後でも否決だったかもしれないです。

年代別での統計では70歳以上以外の20~69歳までは全て賛成多数だったのですが、やはり高齢者にはマイナスなイメージが強かったということだと思います。

これからの高齢化社会を考えての政策も多かったので、しょうがないのかもしれないです。

都構想が廃案になってしまったので、これからは、また選挙に勝つための高齢者にやさしい政策をする大阪にもどってしまうのでしょうか、残念です。

橋下さん嫌いの人は多いようなので、反対派の人たちは大喜びでテレビに映っていました。でも過半数上回ったので、それが民意ということで、反対派が正解だったのかも。。。。。。

世の中の全ての問題の答え!?

今の自分を受け入れることができると、世の中に様々な性格の人がいても良いということに気が付く。また逆に世の中に様々な人がいても良いということに気付いて他人を受け入れると、自分自身も受け入れることができるように思います。

他人の今の状態が何点の出来なのか?今の自分は何点の出来なのか?そんなことはどうでもよくて、全く意味のない疑問だと思います。

スタート地点は人それぞれなのが当たり前だと思います。僕が言っているスタート地点とは、常に今のことで、今から1っか月後でも、そこがスタート地点です。もちろん5年後でも同じです。その瞬間がスタート地点です。

会社の同僚にちょっとひねくれた性格の人がいたとして、その人にとって今がスタート地点だと思います。ひねくれるには理由があって、その人の今までの家庭環境が影響していたりします。単純に「あの人はひねくれているから嫌い」と考えるのは簡単ですが、その人にとってのスタート地点なので、やさしく見守ってあげたいです。

全ての場面でそうとは言えないですが、僕はこう考えるようになって、周りに腹が立たなくなりました。

心の底にある相手への敵意みたいなものが無くなったように思います。今のままの自分を受け入れてくれないだろう相手に敵意が生まれ、でも敵意がありながらでも自分を受け入れてほしいという、わがままだったと思います。

幼い頃、自分が何も言わなくても自分の気持ちを理解してほしくて、でも理解してくれない母に腹が立つこともありました。何も言わないので理解できないのは当たり前なのですが、それでも理解してほしいというのが自分のわがままだったと感じています。今考えると、単に甘えていただけだったように思います。

今の自分のままだと受け入れてくれない相手だと勝手に決めつけて、受け入れてくれないことに敵意を感じているにもかかわらず、相手に気に入られよう受け入れらようと努力するが余計に悪くなる。

そんな矛盾が対人恐怖症の正体かもしれないです。でも、対人恐怖症は目に見えないので本当のところは誰にも分からないのかもしれないです。

でも、それが対人恐怖症の正体だとすると、今の自分のままでは受け入れられないという、今までの自分の人生での経験という小さな世界での思い込みを修正して上書きすることが必要になるだろうと思います。

僕は専門家ではないので正直わかりませんが、自分を受け入れることが出来れば他人を受け入れることは出来るようになるでしょうし、他人を受け入れることが出来るようになれば自分を受け入れることも出来ると思います。どちらかが出来れば両方出来るようになるだろうと思います。

なので、他人の今の状態が何点の出来なのか?今の自分は何点の出来なのか?この意味のない疑問を持たなくなったときに、対人恐怖症が治るのかもしれないと勝手に思い込んでいます。

仮に、これが正しいのだとすれば、やはり他人を理解することが必要になってくるだろうと思います。

相手がどんな人だったとしても、その人の過去やこれからを思いやりで見ていくと、心の底の敵意が消えるのかもしれないです。

ペットセラピーが効果があるというのも理解できます。自分から愛情を注いでいるときって、癒されるんでしょうね。ペットじゃなくて相手が人間でも同じことだと思います。自分から愛情を注ぐことで、自分が周りから愛情をもらっていることに素直に気が付くのかもしれないです。

結局、僕が記事を書くと、最後は愛情にたどり着いてしまいます。

やはり、これが究極の最後の答えになるのでしょうか。何のために生きるのか?この疑問の答えと、対人恐怖症を克服するための答えは同じなのかもしれないです。いや、世の中の全ての問題の答えなのかもしれないです。

また暴走してしまいました。