対人恐怖症が治りました

ひきこもり、社会不安障害(SAD)の方にも、お役に立てると思います。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

プチ認知療法、コンビニ編(コンビニで緊張する人)

僕が勝手に考えたプチ認知療法コンビニ編です。

前にトイレで手を洗うときに緊張する場合を書きましたが、今回はコンビニのレジで考えてみました。僕と同じ感覚の人にしか、当てはまらないので、意味が分からない場合は読まないでください。

僕の場合ですが、コンビニでお金を払うときにも緊張していました。

どうして緊張するのかは色々あるのですが、基本のパターンというか、いつものやつです。どう思われるのかとか、そういうのです。

状況は、その時によりますが、数人並んでいる場合や、自分1人だけの場合もあります。

どちらにしても、とにかく早く済ませたいと考えて逃げるようにお金を払い店を出ることがありました。それを、ゆっくりとお金を払い、その場でお釣りを財布に入れる。その後、商品の入った袋を取り、店を出ます。

僕の場合は、たったこれだけのことで、今までの自分と少し違う感覚になることがありました。

今までなら、お釣りを渡されたときに、「財布に小銭を入れるのはお店を出てからにしよう」と考えて逃げるように、小銭を握りしめてお店から出て行くことがありました。(緊張する場面が嫌なので逃げるという意味です)

僕だけかもしれませんが、とにかくその場に滞在する時間を短くしようとする作戦です。

プチ認知療法コンビニ編の場合は、小銭がキッチリある場合は、千円札プラス小銭で一円単位までゆっくりだします。これをすると、逆に店員さんが急いでいる時は、千円札を出した直後に会計をしようとして、手を伸ばそうとしてきますが、それを無視して小銭を一円単位まで出します。

そして、レシートを受け取り、持って帰るのではなくて、不要レシート入れがある場合は、そこへ入れます。(自分の後ろに人が並んでいた場合に、気を使って本当はレシートは不要なのに、早くお店を出るためにレシートを持って帰るのではなくて、少しだけ時間が掛かりますが、不要レシート入れを探してレシートを入れる)


ちょっと細かすぎるので、僕にしか当てはまらないのかもしれませんが、僕と同じような気疲れをする人の場合で書いています。

アドラー心理学によると、疲れやすい人の行動は、自分が傷付きたくないというのが目的になっているようです。ですので、傷つく場合があることを覚悟して行動すると上手くいくことはあると思います。

傷ついたり、傷つけたりを繰り返すことで、成長できるのだと思います。コンビニのレジで傷つくことはないと思いますが、コミュニケーションの場面を避けるのではなく、少しだけ滞在時間を増やすことで、「大したことはない」と実感することができると思います。

「不安になるかもしれない」という場面にあえて留まることで、自信になることはあると思います。

このコンビニで緊張して、早く会計を済ませようと考えるのは僕だけかもしれませんので、参考になっていないかもしれません。

スポンサーサイト

対人恐怖症を治す方法は、実はシンプルだった!?

今まで、自分の経験からのことを書いてきました。

当時25才のとき、催眠療法のカウンセリングで知った自律訓練法や催眠の暗示の言葉、不安階層表での認知療法、そして精神科での薬物療法(僕の場合は薬をもらっただけ)のことなど。

ネットで情報を探していると、対人恐怖症で悩んでカウンセリングや精神科に通って治らなかったが、その後治ったという書き込みが割と多いように思います。

逆に、カウンセリングで完治したという書き込みが少ないようです。僕がネットで情報を探した限りではそう感じましたが実際はどうなのか分かりません。

これは、どういうことなのか、自分なりに考えてみました。多分ですけど、僕と同じように途中で通わなくなる人が多いのではないかと思いますし、理由があって通えない人も多いだろうと思います。

通わなくなって、その後治ったという人の場合で考えてみたのですが、じゃあ、カウンセリングに行った意味がなかったのか、という疑問がでてきます。

僕個人の意見ですけど、どうしていいのか分からなくなった時に、一人で悩んでいても何をすればいいかさえ見えてこないので、行ったほうが良いと思います。

僕自身も、途中で通わなくなりましたが、今思えばカウンセリングに行って良かったですし、助けられたと思っています。カウンセラーにはウソをつく必要もなく、症状を相談でました。

カウンセリングに行かなかったとしても治ったのかどうかは分かりませんが、行かなかったら精神的に耐えられなかっただろうと思います。

僕の場合は、自分が苦しいだけでなく、まわりにも迷惑になっていました。自分が苦しくて、まわりも苦しめることが分かっているけど、それでも学校、会社に行かなければならなかったので、逃げ場所がなかったです。(逃げ場所は必要だと思います)


親に説明していれば、ある意味、そこが逃げ場所になっていたかもしれません。振り返ると自分一人で抱え込んでいたように思います。

そうやって、学生時代を過ごしました。そして、社会人になって結婚して子供ができ、苦しくても会社に行かなければならない理由ができました。

この状況で、カウンセリングに行っていなかったら正直どうなっていたか分からないです。

自分の症状を理解できる人と直接会話したことで、かなり楽になったんだろうと思います。別に苦労自慢しているわけではないのですが、ちょっと限界に近かったように思います。

世の中に、同じような症状の人が沢山いて、時間が掛かるにしても治す方法があることを知りましたし、実際に少し楽になる感覚はありました。続けていれば、少しづつ楽になるだろうとも思いました。

僕の場合は金銭面で無理があったので、途中で投げ出しましたが、余裕のある人は続ける方がいいと思います。

カウンセリングで完治しなかったけど、その後治ったという人は(僕も含めて)、カウンセリングの効果がなかったわけではないと思います。

僕のように、行ったこと自体で、少し楽になり助けられましたし、1人で抱え込んでいた悩みを相談することで、限界に近かった気持ちが、軽減されたのだろうと思います。

なので、カウンセリングで完治しなかったとしても、効果があったから、その後治ったのだろうと思います。

僕が行ったカウンセリングは催眠療法だったので、自分の不安階層表を作成して、不安の少ない場面から順番にイメージで克服していくというものでした。

たしか、初日だったと思うのですが、10段階で自分の不安な場面を書き出して表にする作業をしました。この表(不安階層表)を使って、今後治療していくという説明もありました。

自律訓練法を覚えたり、催眠療法をしてもらったりしました。

そうやって、少しづつ楽になっていくのは間違いないとは思いますが、実はもっとシンプルなことなのかなって考えたりします。(僕個人の考えです)

そう思ったのは、アドラー心理学を知ったからです。

このブログでは、「対人恐怖症は相手に愛情で接することで楽になる」みたいなことを書いてきました。それが正しいのかどうか分かりませんし、人それぞれなので、「それは間違っている」と思う人がいても、それはそれでいいと思います。

誤解がないように、本(嫌われる勇気)を読んでもらうのが良いと思いますが、「幸福とは貢献感である」という定義だそうです。

愛情って、無償の愛とか、見返りを求めない愛、みたいなものだと思うのですが、アドラー心理学でいうところの「貢献感」に近いのかなって思います。

「貢献感」については、本に詳しく書いてあるので、読んでみてください。ここで中途半端に書いても伝わらないので。

僕はこの本を読んで、答えが見つかりそうな、半分見つかったような気がしています。何の答えなのかよく分からないですが、自分の中で曖昧になっていることが繋がって、何か答えがでそうです。

ハッキリとした答えはまだですが、そのシンプルな答えが対人恐怖症を治すのではないかと感じています。ちょっと暴走気味に書いてしまいました。

対人恐怖症で苦しんでいたときと、今とを比べてみても、そもそも何も変わってないんですよね。ただ苦しいか苦しくないかだけで、その距離って遠いようで近いし、近いようで遠い。どっちなのか分からないですが、当時は遠く感じましたし今振り返れば近いと感じます。

そして、難しく考える必要はなくて、実はシンプルなものかもしれないです。

以前、コメント頂いた方が、「行き着く場所はシンプルな場所なんでしょうね」と言われていたのを、今になってようやく理解できたような気がします。

また、意味の分からない記事を書いてしまいました。でも、自分のブログなのでいいかな。

すぐに効果を感じられた考え方(課題の分離)

ちょっと気に入り過ぎて、マイブームになっている「嫌われる勇気」という本の中で、「アドラー心理学は自分のものにするのに今まで生きてきた年数の半分を必要とする」みたいなことが書かれていました。

たしかに、理解するのに時間が掛かりますし、現実の生活の中で自分のものにするのにも時間は掛かりそうです。ですが、先日の出来事で「そうではない」と実感しました。

まだ読み始めて間もないので、僕の解釈が間違っているかもしれませんが、「課題の分離」をすることで気持ちの変化がありました。

それは、仕事中のことなのですが月に一度お会いするお客さんと、いつものように世間話などをしていました。その人はギャグが好きみたいで、僕を笑わそうとしているのかどうか分かりませんが、常にウケを狙ってしゃべる人です。(大阪人だからかも)

実際に面白くて、満面の笑顔で話すので、僕も気分良く会話できるのですが、その日はたまたまお客さんのお兄さんが来られていました。

そして、僕が作業を終え、あいさつをして帰るときの出来事なのですが、お客さん本人はお金だけ置いて2階へ行ってしまっていました。(ここにお金置いておくから、後やっといて)

僕は本人にあいさつできない状況だったので、お兄さんに「終わりました!ありがとうございます!」と言って帰ろうと思ったのですが、返事がありませんでした。

聞こえていない可能性もあるので、もう一度、お兄さんに「終わりました!ありがとうございます!」と大きめの声で言ったのですが返事がありませんでした。出来事といっても、ただこれだけのことです。

この瞬間の僕の気持ちといえば、ちょっと恥ずかしいような気持ちで、それが怒りに変わる手前のような気持ちになりました。

それで、この瞬間に「課題の分離」が頭をよぎりました。そして、自分になにか目的があって怒りという道具を引き出そうとしていることに気付きました。

いつもなら、イライラするか少し落ち込むかするだろうと思うのですが、自分では「この日は課題の分離ができた」と感じています。

そういう出来事があったので(たいした出来事ではないですが。。。)アドラー心理学は、自分のものにするのに時間が掛かると言われているみたいですが、実はすぐに効果を感じられる心理学なのかなって思いました。

そして、この課題の分離の考え方を身に付けると、色々な症状で分けられますが、全ての対人恐怖症そしてうつ病などを楽にすることができそうです。

例えばですけど、この出来事に近いだろうと思われる、会社での上司へのあいさつ、ラインでの既読などで返事がない、あるいは、気分が滅入る返事だったときに、その結果で自分の気持ちが左右されることがなくなり、楽になるのではないかと思います。

課題の分離については、本を読んでもらわないと理解できないと思うので、とりあえず読んだほうがいいと思うのですが、人それぞれなので。。。。。。

今は、この本に夢中になっているので、本の宣伝ばかりになっちゃってます。ごめんなさい。でも自分のブログなのでいいかな。

ふてくされている人を発見。過去の自分?

今日、コンビニでふてくされている人を見ました。

何故ふてくされているのかと言うと、レジが二か所あって1つは7人くらい並んでいました。僕もそのレジに並んだのですが、もう1つのレジは2人だけで、2番目に並んでいる人がふてくされていた人です。

2人だけなので、一見ふてくされる理由がないとように思いますが、そのレジで会計中の人が特殊な商品を注文したか、宅配をお願いしているか、クリスマスケーキの予約をしているか、そんな様子で物凄く時間が掛かっていました。その様子を感じとった他の人は、行列になっているレジの方が早いと考えて多い方に並んだようです。

それで、予想が当たり結局、僕のほうが早く会計を済ませて外にでることになりました。当然僕よりも先に並んでいた人たちは会計を済ませています。この状況での周りの行動は、当たり前ですが人それぞれになると思います。

僕的には、レジの人が一言「2番目のお客様こちらにどうぞ!」と行列の方へ割り込ませるのが当たり前だと思うのですが、店員さんが言わないので、僕の会計になった時に「お兄さん、こっちに入れば」と僕が助け船を出す選択もあったと思います。

そして、2番目に並んで待たされている人は「まだ、時間かかりそうですか?」とやわらかく店員さんに話しかけるという選択もあったと思います。その一言で「申し訳ありません。あちらのレジでお願いします」と店員さんが言って、それが聞こえた行列の方のレジの店員さんが「こちらにどうぞ!」と言って割り込ませてくれたかもしれないです。

ちょっと妄想し過ぎましたけど、実際は無言でただふてくされているだけでした(2番目のお客さん)。その様子を見て、過去の自分を見ているようでした。なんとなく自分に似てるなって感じでした。

そのお兄さんは、そこまで考えていなかったでしょうけど、以前の僕だったら「早くしろよ!」「店員なんとかしてくれ!」「バカと思われてるじゃないか!」「隣りのレジで並んでる奴かわいそうな目で見るな!」とか考えてイライラしてたと思います。

そして、店員の視線が気になり、並んでるお客の視線が気になり、まわりの人間を敵のように感じてただろうと思います。そして「気が弱いやつ」と思われるのが嫌なので、強い自分を演じていたかもしれません。

心の中で「バカにしやがって!ジロジロみるな!」とキレてたかもしれません。そして不機嫌になって、嫌な気分のままコンビニからでて行くことになったと思います。以前はこんな感じでした。

今は、とくにキレることもないですし、視線も気になりませんけど、ふてくされる理由はよく分かります。でも、よく考えると、自分がふてくされる原因は、周りの人のせいではなくて、自分が勝手に作り上げた世界だと思います。

僕がふてくされていたのではないのですが、他人ごとではないように思えて、ちょっと気になっていたのですが、外に出てしまったので、その後どうなったのかは分かりません。

そんな出来事があったので考えてみたのですが、視線が気になる人って、こういう流れなんだろうなーって思います。自分の過去を振り返ると、こんな感じですけど、僕だけかもしれないです。僕以外の視線恐怖の人と比べたことがないので。

でも、近い人はいるだろうと思います。

認知療法って言葉を聞くと、なんだか難しそうに聞こえますが、実際はこういった出来事を自分で振り返ってみて、周りの人たちが自分を見た時の感情が、自分が予想した感情と一致しているのかどうかを確認することだと思います。

この出来事の場合では、「相手からバカにされている」「気が弱いやつと思われている」と予想しましたが、実際はどうだったのか、というこを自分なりに考え直してみる作業です。

どう感じたのかを周りの人に確認してまわるわけにはいかないので、自分で考えるしかないです。

この場合だと、ある人は僕と同じように「割り込ませてあげようか」と考えていたり、別の人は「自分もこういう目にあったことある」と考えていたり、「レジの店員さん常識ないよな」と店員さんに怒っていることも考えられます。

もしかすると、実際に「気が弱いやつ」と思った人もいるかもしれません。

現実はそれが分からないので困るのですが、悪い方に考えていることが多いだろうと思います。

なので、冷静に考えてみることで、仮に「気が弱いやつ」と思った人がいたとしても、ごく少数ですし、全員ではないと考えるのが正解だと気付くことになる場合もあると思います。

そうやって、少しづつ自分の予想と、実際とを振り返ることで、自分のクセに気付くことはあると思います。自分のクセに気付くことができれば、それを理解した行動ができるので、少し楽になるんだと思います。

なので、視線恐怖とか赤面症とか表情恐怖とか色々ありますが、結局、根っこが同じで治す方法も同じなんだろうと思います。

あとは習慣の問題で、クセみたいなものだと思うので、時間差はあるかもしれませんけど一つ治れば全部治るのかなって思います。

自分の考え方にブレがあると、症状が出たり出なかったりしますが、考え方を固定することで全て治るのかなって思います。

考え方を固定するには、日々の出来事を振り返って認知療法したり、本を読みまくるのがいいのかもしれないです。

本を読むといっても、暗記するのではなくて、自分なりに解釈して、それを自分の考え方として固定できればいいのかなって思います。

認知療法トレーニングブックで信念という言葉が出てくるので、それも参考になると思います。

あと、「嫌われる勇気」という本の中に「自己受容」という重要な言葉が出てくるのですが、加藤泰三さんの「自分のうけいれかた」に近いので参考になると思います。

Amazonのなかみ検索でも、ある程度読めますしね。

これから年末なので、時間のある人は読んでみてはどうでしょうか。

今年の反省と来年の抱負

今年1年間を振り返ってみると、何も頑張らなかった年になっています。

この一年早かったなーって感じています。

年を重ねるごとに「一年間早かった」と感じるようになるそうです。20才の時より40才の時の方が時間の感じ方が短くなるってことみたいですね。

おじいちゃんになったら、どんだけ1年を早く感じるんだろうかと心配です。

自分の生きてきた年数と比較して時間の長さを感じとっているそうです。

例えば、20才の1年と、60才の1年だと、20才の時の方が長く感じるようです。

そういえば、だんだん短く感じるようになっている気がします。

今年を一言で表すと「サボった年」になってしまいました。でも、今年最後にいい本に出会えたので感謝しています。

ブログを通じて様々な人に色々と教わりましたし、色々と考える切っ掛けを作って頂いたので感謝しています。

もちろん批判的なコメントもありましたが、それで修正すべき部分も理解できたので良かったです。

何故かお別れの挨拶みたいになってますけど、まだまだ書きたい事があるので書きますけどね。

今年は良い年にしたいので、抱負を書こうと思ったのですが、ブログじゃなくて自分の手帳に書こうと思います。

何じゃそれ!って感じですが、僕の抱負を書いても誰の役にも立たないので自分で処理します。

モチベーションを維持する大変さを実感した年になりました。本当に難しいですよね。

いつも、何をやっても三日坊主の僕なので、なかなか難しいですが来年は頑張ろうと思います。

やるベき事は分かっているので、やれば良いだけなんですが、それを後回しにして、いつまでたってもやらない自分に反省している今日この頃です。

先のことを考えるのが面倒なので、ゲームばっかりやってました。

それにしても、ラウンドワンのトゥインクルドロップは面白いです。でも、あのゲームはやらない方が良いです。コインが幾らあっても足らないので辞めておいた方がいいと思います。

でも面白いので日曜日には行っている気がします。

お年玉の新札も早く準備しておかないと、銀行に行っても「もう無いです!」と言われるので、早く行かないとって思いながらも行ってないです。

細かいことを先延ばしにして反省する年になってしまいましたが、来年は計画的に行動します。

抱負は書かないって思いながらも、ちょっと書いてしまいましたが、仕事の抱負は自分の手帳に書こうと思います。

実は、42才になりました。別に隠していた訳ではないのですが、年齢の割に漢字知らないなって思われそうですし、平成生まれの人には「ただのオヤジじゃん!」って言われそうなのですが、書いてスッキリしました。

ブログ書き始めた頃は35才くらいだったんですが、もう7年くらい書いてるってことになります。これに関しては三日坊主じゃなかったようです。

それにしても、我が家の愛犬はカワイイです。今も隣にいますが、後ろ足で耳の下を掻いています。

毎日一緒に寝てるのですが、本当は犬と一緒に寝ない方が良くて、ハウスで寝かせるようにしつけた方が良いみたいですね。

いちばんカワイイ仕草は首を傾げるところです。顔を15度傾けてる表情が、キュンってなりますよね。分かる人には分かると思います。

2匹いるので、2匹とも並んで同時に首を傾げる時があって、その時は失神しそうなくらいです。

ちょっと汚い話ですが、う○ちしてる時も、ちょっと僕の方を気にしながら踏ん張ってて、それもカワイイです。

完全に日記になってしまいましたが、来年は頑張ります。

勝手に頑張れよ!っていうコメントはやめてくださいね。さすがに凹みますから。

口ぐせを変えると自信が付き、目の前が明るくなる。

僕の口ぐせは「すいません」です。

誰かに、何かをしてもらった時に、よく言葉にします。自分では感謝の気持ちを込めているつもりなのですが、相手にはイマイチ伝わらないようです。

例えば、電話での対応や、上司に何かを手伝ってもらったり、仕事で今必要としている物をわざわざ持ってきてもらった時に、「すいません」と言うことが多いです。

僕の場合ですが、「すいません」の言葉の中には、「こんな自分のために、わざわざ時間を使わせて、申し訳ない」と言う意味があります。

たしかに、そういう気持ちが必要な場面もあると思うのですが、単純に「ありがとうございます!」だけの方が、自分もスッキリして、相手も気分が良くなることは多いと思います。

相手の立場で考えてみると、「すいません」と言われたら、どこか遠慮がちで、逆に気を使わせてしまったと感じることはあると思います。

なので、相手の行動に「思いやり」を感じた時は、「すいません」より「ありがとうございます!」を使うように意識しています。

僕の場合は、いつもなら「すいません」を言う場面を「ありがとうございます」に変えるだけで、相手の思いやりを素直に受け止めることが出来て、それを素直に返すことが出来たと感じています。

気のせいかもしれませんが、実際に相手の表情が違うように思います。「すいません」と言ったときよりも、「ありがとうございます!」と言った時の方が、スッキリした顔をしています。

そういえば、大手企業のお問い合わせセンターなどのフリーダイアルに電話した時も、オペレーターさんは、イチイチ「ありがとうございます!」と言うことが多いです。

僕的には、すごく気持ちのいい対応だなって感じています。

クレームとかで下手にでないとイケない時は、「申し訳ございません」と言う場合もありますが、基本は「ありがとうございます!」を使うようにしているのだと思います。多分、そういうマニュアルがあるんでしょうね。

ということで、僕は「すいません」よりも「ありがとうございます!」を意識して使っています。

なんとなく、自分の感謝の気持ちが素直に伝えられたと感じるので、目の前が明るくなるっていうか、自信を持って言えるようになりました。

でも、口ぐせなので、どうしても「すいません」と言ってしまうのですが、それに気付いたときは、付け足して「ありがとうございます!」と言うようにしています。

僕の場合ですけど、これだけで、人間関係がスムーズにいくと思っています。

「ありがとうございます!」と言われた相手は、「役に立てたんだ」と素直に感じるので、アドラー心理学でいう「貢献感」を満たすことにもなると思います。

「幸福とは貢献感である」という言葉の通りで、相手が幸せに感じるのだと思います。

相手が幸せな気持ちになれば、自分も幸せなんだろうと考えたりします。そういうやりとりで、お互いの親近感ができますし、ギクシャクした人間関係もスムーズにいくことはあると思います。

僕の経験では、自分を良く見せようとしての発言だと、お互いにトゲトゲした会話になりますし、なんとなく嫌な雰囲気になったりします。

例えば、相手が何か自分にしてくれた時に、「いや、大丈夫ですよ、自分でなんとかするので」と自分のプライドを優先させると、嫌な雰囲気になったりしますが、それを「ありがとうございます」に変えるだけで、相手の貢献感を満たすことになり、それが、自分の貢献感を満たすことになるのだと思います。

なので、「ありがとう」は単純な一言なのですが、たったこの一言で、お互いが気分よく過ごせることになると思います。

僕は、「ありがとう」という言葉を使う時に、なんだか照れくさくて恥ずかしいと考えている時期がありましたが、言ってみるとスッキリしますし、照れてる場合じゃないんですよね。照れる必要もないですしね。コミュニケーションとしての普通の言葉だと今は思っています。

「ありがとう」をちゃんと相手に伝えることができると、それが自信になるのかなって思います。こんなことを考えているのは僕だけでしょうか。

以前は、自分の気持ちを相手に悟られることが嫌っていうか、出来るだけ自分の感情がばれないようにしていたような気がします。

でも、自分の感情が相手に伝わるように表現したり、言葉で伝えたりすることが、生まれた時から自分に備わっていて、楽しい時は「楽しい」と笑顔で表現したり、怒っている時は嫌な顔をするのが、条件反射みたいなもので遺伝子的にそうなっているのかなって思います。

ちょっと意味が分からなくなってきましたが、相手に伝えるって難しいですよね。

友達がいても悩む理由と悩まない考え方(自分の場合)

ユダヤ教の教えに、こんな話があります。「10人の人がいるとしたら、そのうち1人はどんなことがってもあなたを批判する。あなたを嫌ってくるし、こちらもその人のことを好きになれない。そして10人のうち2人は、互いにすべてを受け入れ合える親友になれる。残りの7人は、どちらでもない人々だ」

ー嫌われる勇気246ページよりー

僕自身の高校生時代のことを振り返ってみると、たしかにそうだと思います。クラスは35人くらいだったので、お互いに嫌いというか、なんとなく拒否してしまう相手が3人くらいで、仲の良い友達や気軽に話できる相手は6人くらいで、残りの人はあまり関心がなく好きでも嫌いでもない相手だったように思います。

ただ、これは今振り返ってみての話で、今の自分だったらそうなるだろうと思いますが、実際の高校時代はそうではなかったです。

同じクラスに親友はいなかったですし、嫌われるし嫌いな相手はもっと多かったです。どちらでもない人になるはずの相手からも嫌われていたように思います。

今、振り返ってみて、僕が嫌われる要素ってそれほど多くないですが、「嫌われたくない」と考えての行動や発言が嫌われる要素になっていたんだと思います。

親友は10人中2人で十分過ぎるくらい十分なのに、皆から好かれないと満足できなくて、ビクビクしていたのだろうと思います。

何故、皆から好かれないと満足できない状態だったのかを考えてみたのですが、多分社交的で明るくてクラスの人気者にならないと自分で満足できなくて、それが出来ていない自分は「ダメ人間」だと感じていたのだと思います。

今考えると、僕を嫌う人がいて、逆に嫌いな相手がいることは、当たり前の話なんですが、自分が嫌われることを必要以上に怖がっていたのだと思います。

人が何人か集まると、必ず自分を批判的に思う人は当然いるでしょうけど、当時、そこを理解できていなかったように思います。

そして、誰からも嫌われないように間違った努力をして、結局それが嫌われることになりコミュニケーションの場において、上に書いたようなバランスが崩れていったのだろうと思います。

このバランスを理解して、嫌われる勇気さえあれば、矛盾しているようですが、嫌われることはなかっただろうと思います。

嫌われないために自分に無理をしてまで「相手から見ていい人」になろうとして、結局自分が壊れていったのかもしれないです。

そもそも無理があったんですよね。皆から嫌われないように、全員から好かれるように、クラスの人気者でないとダメだと考えていることが、ある意味よくばりだったのかもしれません。

兄弟で比較されて育って、「自分に注目にしてほしい」と考えるようになったのかもしれません。僕は、親に比較されて育ったとは思っていませんが、自分の勝手な解釈でそうなったのだろうと思います。

今思うと、凄く仲良くなっていたはずの相手とも上手くいかなかったです。

結局、自分の解釈の仕方が間違っていて、対人恐怖症になったように思います。

本にも書いてありますが、自分で勝手に解釈した結果で出来上がった自分なので、今からでも、しかもいつでも、自分の解釈の間違いに気付き修正していくことで人は変われるんだと思います。

中学生の頃は、友達はある程度いたので、それで悩む必要はなかったのですが、全員と仲良くならないとイケないと考えたり、人が集まると自分のことを嫌いな人がいることは当たり前なんですが、それを理解していなかったので、友達がいても悩んでいたんだと思います。そして高校生になって、余計に友達ができにくくなったのかなって思います。

結局、悩まなければ友達は普通にできるんだと思いますが、悩んでしまうのでしょうがないですよね。(僕の場合)

悩むなと言われても、悩むものは悩むんで、どうしようもないと言えばそうなんですが、自分のことを批判する人、自分を嫌になる人は、割合の問題で、人数が多くなればなるほど増えるので、それを理解するだけで少し悩まずにいれるのかもしれません。

極端な話かもしれないですが、好きな芸能人ランキングに入る人って、嫌いな芸能人ランクにも入ることが多くて、それをイチイチ芸能人が気にしていたら、仕事ができないのと同じなのかなって思います。

ちょっと例えが、悪かったですが僕はそう思います。

緊張するときに、心に準備しておく、3つの言葉。

緊張してドキドキしたり顔が赤くなったりしてしまった時には、

1「よく知らない人と話す時に緊張するのは当たり前」
2「相手がどう思うのかは相手の問題」
3「無理して相手に合わせず、自分を正直にだそう」


と自分に言い聞かせれば、少しは心が落ち着きます。
「誰とでも、いつも、楽しい会話をしたい」というのは無理があります。

-他人の目が気になって仕方がない人へ(樺 旦純)203ページ より- 久しぶりに、この本を開いてみるとこんなことが書かれていました。気になる人は読んでみてください。123の数字は分かりやすいように付け足しています。

僕は3つとも納得できたので書いてみようと思いました。そして、実際にそう思えるかどうかを考えてみました。

1、「よく知らない人と話す時に緊張するのは当たり前」
 僕の場合ですけど、知らない人と会う時に緊張するのも対人恐怖だと思っていましたが、治った今でも緊張します。緊張度に差はありますが対人恐怖じゃなくても緊張するということです。ある意味自分の身を守るために必要なものだと思います。自分の味方なのか、敵なのか、安全なのか、危険なのかを判断するための動物的な緊張なのではと思います。ただ、対人恐怖だと相手を「敵」と感じやすい状態にはなっていると思います。なので、目の前の人と自分とを比較して上下で判断するのではなくて、「同等であり仲間である」と考えることができれば過度にはならず適度な緊張を保つことができそうです。ある部分だけを見て欠点のある人、欠点のない人がいます。人それぞれで当たり前のことなので、ほんの一部分を見て上下を判断するのではなくて、世の中には様々な人がいますが全て同等だという考え方です。「自分に欠点があってもいい、相手にも欠点があっていい」自分がそう思うことができれば、相手も同じことを考えていることに気が付くと思います。そうなると過度に緊張することなく適度に緊張する程度になると思います。普段こころの中で相手を下に見ていることはないでしょうか、心の中で相手をバカにしている自分はいないでしょうか。普段、相手を見る時の自分の感情がブーメランのように自分に返ってくることはあると思います。僕は自分の心の中に、そういう自分がいることに気が付きました。でもよく考えてみると、自分がバカにしている相手には自分にない良い所があったりします。もちろん欠点も見えますが欠点があるのはお互い様で人は誰でも同等だという意識を普段から持つことで、よく知らない人でも過度の緊張はしなくなると思います。

2「相手がどう思うのかは相手の問題」
 これは、他の本(嫌われる勇気)にもでてくる言葉です。アドラー心理学でいう「課題の分離」です。僕がブログの記事を書く時のことを例にしてみます。僕はブログで自分の考え方とか自分の思ったことを書いています。ある意味一方的に自分の意見を書き込んでいることになるのですが、ときどき不安になることがあります。ちょっと余計なこと書いてしまったかな、誤解されそうだな、嫌味に思われないかな、コメントの返信したけど気分を害したかな、など色々と考えます。実際に批判コメントがあるので、反省することがあります。でも、自分が最善を尽くしたと思えるのであれば、それに対しての相手の反応は相手の課題であって、自分がどうこうできる問題ではなく、嫌がられても、好かれても、それは相手の感情なのでどうすることもできません。相手の感情は、相手がどう受け止めるのかという相手の課題であって、自分の課題ではないということです。なので、批判コメントがあったとしても、その人を嫌いにならないですし、自分に非があることもあるので、それは修正すればいいことだと考えるようにしています。そうやって、課題の分離をしつつ相手との摩擦を繰り返して、自分に非があれば修正していくことで成長できるのだと思います。仮に相手に非があった場合には、それを修正するのは相手の課題であって、自分が踏み込んではイケない一線です。そして、このブログにコメントを書き込む人は、書き込んだことで、僕がどう感じるのかは僕の問題なので、自分が良かれと思ってのことであれば深く気にする必要はないのだと思います。これがアドラー心理学の「課題の分離」になると思うのですが、この考え方を普段の生活の中での、例えば「あいさつ」とか「自分の発言」に置き換えてみると分かりやすいと思います。

3「無理して相手に合わせず、自分を正直にだそう」
 これは、加藤諦三さんの本にもでてくる考え方で、納得できます。ただ、頭で理解できていても、実際にそう思うことができるかどうか、そこが重要だと思います。上の言葉を逆で考えてみると、「無理をしてまで相手に合わせて自分に嘘をつく」ということになると思います。僕のように生き辛さを感じる人は、どうしても相手に合わせてしまいます。相手に合わせず自分をだす勇気がない、あるいは今のままの自分では相手の世界に入っていくことが出来ないと感じるからではないでしょうか。なので、目の前に人がいると自分を良く見せようと間違った努力をしてしまいます。僕の場合は劣等感をもっていたからだと思います。

ここから加藤諦三さんの本
「激しい劣等感をもっている人は、あるべき理想の姿としての自分をもっている。理想の自画像がある。そして実際の自分というものがある。そこで劣等感をもつ。そのとき理想の自画像に自分が一致するなら、自分は生きる価値があると感じられるのである。ところが実際の自分はそれとは違うから、自分の人生に意味を感じられないのである。このように、自分の人生は意味がない、自分には価値がないと感じているからこそ、他人と相対しても、自分を主張できないのである。」
ー賢い生き方愚かな生き方「理想の自分などもつことはない」182ページより。ー

劣等感は全てに関わってくるので、とても重要で理解すべきキーワードだと思います。劣等感さえもたなければ全て上手くいくとまでは言えないですが、僕の場合は激しい劣等感がなければ、これほど深刻に悩むことはなかったと思います。そもそも劣等感は幼い頃に自分が勝手に頭の中で作り出したものなので、自分で作り出したものであれば、自分で壊すことができるのだと思います。自己啓発本で出てくるリフレーミング、見る角度を変えると違うものに見えるという意味の言葉です。コップに半分の水が入っていて、それを「もう半分しかない」「まだ、半分ある」と人によって違う物の見方になることがありますが、知らず知らずのうちに勘違いをして進むべき方向をどこかで間違えたのかもしれません。

まとめ:どうしても過度に緊張してしまう場合

適度に緊張することは当然なので、特に問題がないのですが、過度に緊張して赤面したり顔がひきつったり、視線が気になったりと症状がでてくることがあります。その場面で耐え切れずに症状を気にして隠したり、バレないように工夫したり、症状が出ていないフリをして、その場から逃げる行動をすることはあります。

そして、実際に逃げた場合には、次に同じような場面があると、それを避ける行動をしたり(回避行動)事前に症状がバレない、でないようにする(安全確保行動)ことになります。これは間違った努力だと思います。

何度も書いていますが、この間違った努力を僕は何年も繰り返してきました。その結果なかなか治らずに、苦手な場面は苦手なままで、そんな自分が嫌でしたし、その都度深刻に悩んでいたと思います。

「回避行動、安全確保行動はしないほうがいい」そんな事は分かっています。でも頭で理解できていても実際には難しいです。僕の場合はこういった行動をすることで自分を保てていたのは事実です。なので、こういった間違った努力が必要な時期は誰にでもあるのだと僕は考えています。

しかし、いつまでも、回避行動、安全確保行動をしていると、前に進めないのも事実だと思います。なので、過度に緊張する場合はしょうがない部分もありますが、無理をしない程度で過度でない場合は、認知療法トレーニングブックにもあるように「その場にとどまることで、時間と共に緊張度は下がる」という実験結果を信用することも必要なのかもしれないです。

症状がでたときは、症状だけに集中してしまい、「隠さなければ」「バレないように」と考えますが、できれば症状がありながらその場にとどまり、症状がでても大したことはないという事実を自分で確認する必要はあると思います。

僕の場合ですが、症状がでた時は、自分のことに集中している状態です。逆に考えると、自分に集中せずに相手に注意を向けていると症状がでないということになります。そう考えると相手に愛情や思いやりで接している時は症状がでないのは当たり前なのかもしれないです。

なので、時期を見て逃げるのではなくて、緊張しながらでも会話したり、顔がひきつりながらでも会話することで、緊張度が下がる感覚を実感して、少しの自信になると思います。例えば身近な人から試してみるとかが良いかもしれないです。

「症状がでても大丈夫なんだ」と思うことができるかどうかが問題なのですが、それは自分のプライドの問題だったりするのかもしれないですし、自分を受け入れきれていないのかもしれないです。

積極的に行動し結果は一切気にしない。
今の自分が何点の出来なのかは関係ない。
今がスタート地点でいい。
目の前の相手は同等であり仲間である。
愛情で接すると楽になる。

自分の行動を自分なりに最善を尽くしたと思えるのであれば、相手の反応を気にすることなく、自信をもって行動できるようになると思います。

そう思うためには、実際に自分なりに最善を尽くす必要があり、それが、愛情とか思いやりだと思います。

僕の場合ですが、症状がでた時に思うこと。

対人恐怖症でいちばん辛い瞬間は、人それぞれですが症状がでた時だと思います。

僕の場合は人の視線が気になったとき、自分の視線が気になった時、顔がひきつっている時、顔がほてっている時、相手の目を見れない時などです。

こういった症状がでている自分や緊張している自分を周囲の人から見られたくないと感じます。

症状がでた時に、この症状を一瞬で消す方法がないかと、頭の中で考えます。しかし、いくら考えても思いつきませんでしたし、症状を消すことはできませんでした。

しかし、諦めて今していることをそのまま続けていて、ふと気づくと、症状が消えていることがありました。そんな時はちょっと嬉しかったりします。でも、その嬉しいと感じていた時間も少し経つと再び症状がでてきて、辛い時間が続きます。

今だからそう思えるのでしょうが、一瞬治っている状態になっていたのは確かです。

人それぞれに症状が違うので、僕の場合で書いていますが、症状が辛いので、症状をどうにかしようと考えていました。しかし、症状をどうにかしようと考えても、どうにもできなかったです。

症状がでた瞬間に、考え方を変えたり、対策を考えたりすれば、なんとかなるのではないかと思っていましたが、今考えると、それは無理なんじゃないかと思います。

気になるものは気になりますし、緊張するときは緊張します。どうあがいても、そうなってしまいます。一瞬で症状がでないように、その場で考え方を変えて、仮に症状が消えるのであれば、そもそも対人恐怖症になっていないのではないかと思います。

なので、今できること、今できないこと、を分けて考える必要がありそうです。

そして、今できないことは、とりあえず諦めて、今できることをする。それが難しいのだと思いますし、諦めきれないので間違った努力をしてしまいますし、今できることも出来なくなってしまうのだと思います。

でも、よく考えると、克服するにはその方法しかないんじゃないかと思います。

今できないことをしようと頑張っても、できないものはできないですし、緊張するときは緊張します。そうであれば、今できないことは諦めて、今できることをするしかないのかしれないです。対人恐怖症の辛いところだと思います。

辛いですけど、視線が気になりながら今できること、緊張しながら今できることをするしかないのかしれないです。

でも、それを続けていると変化がでてくると思います。上に書いた「一瞬治っている時間」が少し増えていることに気が付くと思います。

間違った努力を一切しないというのではなくて、間違った努力もしながら、少しづつ減らしていって、正しい努力をしていくことで、少しづつ、いったん諦めていた「症状を消すこと」ができるようになると思います。

「症状を消す」という言い方よりも、「症状がでても苦しくない考え方になる」の方が言い方としては正しいのかもしれません。

これは、僕の場合の視線恐怖症、表情恐怖症のことを書いているので、他の症状のことは分かりませんし、僕以外の場合は分かりません。

例えば、視線が気になった瞬間に、視線をどうにかしようと考えても、無理なものは無理ですから、そうであれば、今できることをするしかないと思います。

誰かと会話している時に視線が気になったら、今できることといえば、相手の話を真剣に聞いて、何を考えているかを理解して、それに対して答える。視線が気になりながら緊張しながら、それに答える。それが正しい努力だと思います。

そして、症状を今すぐ消そうとしたり、緊張しないようにすることが間違った努力だと思います。

ただ、間違った努力をしながらでないと無理なので、間違った努力をすることになると思います。なので少しづつ間違った努力を時間を掛けて減らしていくことが出来れば良いと思います。

不安の大きい場面のことは、いったん諦める。比較的不安の少ない場面で今できることをする。

症状がでた時や緊張している瞬間は辛いです。でも、対人恐怖症になったのでしょうがないことなのかもしれないです。僕自身がそうですし、僕以外でも同じ辛さ、それ以上の辛さで悩んでいる人は多いですから、1人で考えるよりもみんなで考えるほうが良いのかもしれないです。

克服するために普段こころに準備しておく3つの言葉(我流でごめんなさい)

先日書いた、3つの言葉とは少し違いますが、僕が思う3つの言葉を考えてみました。もし、自分に合うもので、納得できるものがあれば、参考にして頂ければと思います。納得できないと感じた人は参考にしないでください。完全に我流なので。

1、目標は堂々と緊張すること
2、積極的に行動し結果は気にしない
3、緊張した時は緊張しながら目の前のことをする

振り返ってみて、僕の対人恐怖症の場合は、これで改善されるだろうと思うことを書いています。もう一度書きますけど、僕の場合です。

対人恐怖症を克服しようと考えて悩んでいる時は、自分ではどうしようもなくて、何をどうすればいいのか全く分かりませんでした。誰にも相談していなかったですし治るのか治らないのかも分かりませんでした。今考えてみると、治るということはどういうことなのかさえ、理解できていなかったように思います。

自分の中でゴールがハッキリとしていなかったので、余計に迷子になっていたのかもしれないです。何を努力すればいいのか分からないので間違った努力をしますし、正しい努力が何なのかも分からないから迷うのだと思います。

僕の場合の克服のゴールは、「堂々と緊張する」ことです。スタート地点が仮に25才だったとして、スタート地点からゴールまでの過程で努力することは「積極的に行動し結果は気にしない」です。そして、その過程で緊張する場面はありますが「緊張しながら目の前のことをする」を普段から意識します。


1、目標は堂々と緊張すること
目標を明確にすることで、間違った努力をしなくなると思います。目標がブレると迷ってしまいます。例えばですけど、症状が辛いのでどうにかしようと考えますが「目標は堂々と緊張すること」であって「症状を消すこと」ではないです。そして、緊張する場面が辛いので避ける行動をしますが、「緊張しないこと」が目標ではないです。目標は「堂々と緊張すること」です。堂々と視線を気にする、堂々と赤面するとかです。この目標にゴールの旗を立てて、そこを目指します。笑顔恐怖症の場合は「堂々とひきつった笑顔を見せる」ことがゴールです。会話するときに最高の笑顔を作ろうと考えてひきつることがありますが、「最高の笑顔になる」のは目標ではないです。目標を明確にして、ブレることなくゴールに向かっていくと克服できると思います(僕の場合の対人恐怖症)。

2、積極的に行動し結果は気にしない
これが出来ないから困っているのですが、スタート地点からゴールまでの道のりは、人それぞれですが長いので、少しづつ「積極的に行動し結果は気にしない」考え方を学ぶ必要はあると思います。結果を気にしない考え方になるには、「自分なりの最善を尽くして課題の分離をする」ということになると思います。自分が思う出来る限りのことをしたと思えるのであれば、相手の反応や、周りの反応を気にしないということです。

3、緊張した時は緊張しながら目の前のことをする
「堂々と緊張すること」という目標に向かって積極的に行動しますが、緊張して辛くなることはあります。その場面では、緊張しながら目の前の今していることを、そのまま続けます。例えば仕事中であれば仕事を緊張しながら続けます。会話中であれば緊張しながら会話を続けます。緊張している自分を見られるのは恥ずかしいと感じるかもしれませんが、緊張している自分をあえて見てもらうようにします(徐々に)。最初のうちは緊張している自分を見ている相手が「緊張している自分のことをどう思っているのか」ということが気になります。「なんで緊張しているんだろう」「気が弱いやつだ」「ヘンな人だな」などと考えているだろうと自分なりの想像で決めつけることになると思います。しかし、それを続けていると「緊張してもそう思われない」ということに気付くときがあります。そうすると「緊張してもいいんだ」「緊張しても嫌われない」「緊張することは大したことではない」と緊張することを大げさに考えていた自分に気付くと思います。誰でも緊張することはありますし、人見知り、恥ずかしがり屋な人が緊張しやすいというのは誰もが知っていることで、マイナスに思う必要もなく自然なことだと気付くと思います。緊張する人を見てバカにするのは周りの人ではなく自分自身だったと気付くのかもしれません。前に書きましたが自分が人を見るときの感情はそのまま自分に返ってきます。過去に自分が過度に緊張した場面を振り返ってみると、大げさに考えていたのは自分本人だけで、緊張した場面の出来事を主観的に捉えて「緊張してはダメなんだ」と強く心に刻み込んだことを思い出します。しかし、それは間違った記憶を自分が勝手に刻み込んだものなので、自分で刻み込んだものであれば、自分で修正できると思います。なので、「緊張してもいいんだ」と思えるようになれば堂々と緊張することができるようになると思います。


自分の発言や行動が、正しいのか間違っているのか判断できずに、分からないままにしていると、自信をもった発言ができないので、その結果、自分から積極的には発言をしない状態になってしまいます。そして、今後の人生も「受け身」のままで歩んでいくことになります。

どうして、自分の発言が「正しいのか間違っているのか」の判断ができないのかを自分の場合で考えてみると、幼い頃の「自分の経験からだけ」という小さな世界で、自分なりのルールを作り、人との摩擦を避けてきたからだと思います。

自分の発言は正しい場合と間違っている場合があり、自分が正しい場合はそのままで、間違っていれば修正すればいいだけなのですが、幼い頃に間違っていた場合の経験をして、その経験を幼い自分が自分なりの解釈で「自分の発言は間違っている場合があるから、自分から積極的になるのはやめる」というルールを作っていたのだと思います。

自分が間違っていた場合は自分が傷付きますから、自分が傷つくくらいなら何もしないほうがいいと考えるようになったと思います。

そうやって、摩擦をさけ続けて何年も経てば、自分の発言や行動が正しいのか間違っているのかが分からなくなり、積極的に行動できないまま大人になるのだと思います。

しかし、そうなってしまったものはしょうがないので、今がスタート地点だと考えれば、今から自分の発言や行動が正しいのか間違っているのかを知るためには、自分が積極的に発言して積極的に行動するしか方法がなくて、仮に間違っていた場合にイチイチ凹んで悩んでいる時間が無駄になると感じるのであれば、「周囲からの批判」を自分が成長するための「修正する時間」にする方がいいと思います。

間違っていれば修正すればいいことですし、ときには相手に謝らないとイケない場合もあると思いますが、その摩擦を避けてきた結果が今なので、大人になった今から自分が傷付き相手を傷つける覚悟は必要だろうと思います。

僕が自分の発言を修正してきたことの一つを書きます。実際に自分の経験として学ぶべきだとは思いますが、他人の経験を聞いて納得できれば、それが自分の経験になることもあると思うからです。

前に少しだけ書いたことがあるのですが、あるセミナーで教えて頂いた「ハードラブ、ソフトラブ」の考え方で今でも凄く役に立っていると感じている考え方です。

会話するときに、思いやりでの言葉がハードラブなのかソフトラブなのかを自分の中でハッキリさせると自分の発言や行動に自信を持てるようになると思います。

例えば、目の前の友人が弱音を吐いた時に、どう答えるのが良いか考えることになって、結局、自分が今から発言や行動しようと考えていることが正しいのか間違っているのかが分からないので、その発言や行動によって自分がどう思われるのかを考えて、その結果、何も言わない、何も行動しない、もしくは当たり障りがなくトラブルを避ける方を選択することになります。

どんな選択をしたとしても、それが正しかったのか間違っていたのかが分からないので、その結果、相手の反応が気になり、自分自信を見つめて不安になるのだと思います。そういった場面で症状がでることもあるのかもしれません。

しかし、この「ハードラブ、ソフトラブ」の考え方を理解して、使い分けることで上手くいくこともあります。

会話の場面で相手が弱音を吐いたとき、それ以外でも、「自分はこう考えている」と共感を求めている時など色々なパターンがありますが、自分の中で「ハードラブ、ソフトラブ」をしっかりと使い分けることができると「自分なりの答え」を、後から後悔して悩むことが少なくなるのではないかと思います。

最適な例えが見つからないので、ダイエットの話で書くことにします。

友人がダイエット中で真剣に一か月で10キロ体重を減らそうと頑張っているときに、二人で喫茶店に行ったとして、友人が「ダイエット中だけど、今日はこの大きなケーキ注文しようかな、ダイエット中だけど今日だけだから大丈夫だよね」と言った場合です。

自分がソフトラブの答えを選択した場合は、相手はケーキを食べたいと思っていて、今日だけだと言っているので、本当は食べない方が良いと自分は分かっているのですが、相手の気持ちを考えて「今日は食べてもいいんじゃない」と答えます。

逆にハードラブの答えを選択した場合は、相手がケーキを食べたいと誘惑に負けそうになっているので、「ダイエット中だから我慢しないと太るからやめるべきだと思う」と言います。

ソフトラブはトラブルがなくお互いが気分よく過ごすことができると思いますが、ハードラブを選択した場合には、自分は相手から嫌われるというリスクがあります。しかし本当に相手のことを考えていると、相手にとって厳しい答えにはなりますが、相手のためには正しい発言になると思います。それと同時に「余計なお世話」の領域に入っていくことにもなると思います。

なので、ハードラブとソフトラブの使い分けが難しいのだと思いますが、自分の発言がどっちなのかハッキリしないまま発言するよりも、ハッキリさせてから発言するほうが迷わないと思います。

ハードラブの答えを選択して、相手の気分を害したかもしれないと後から後悔して悩むくらいなら、元々ハードラブでの答えをしないで、ソフトラブで答える方がいいと思います。

使い分けは人それぞれなので、正解は自分で決めることになると思うのですが、僕の場合は親、兄弟、妻に対してはハードラブを選択することが多いですし、友人であればその状況によりますし、あまり親しくない人に対してはソフトラブを選択します。

自分の発言や行動が、曖昧でどうすれば良いのか迷った時は、自分の中での選択をハードラブなのかソフトラブなのかをハッキリさせて、ハードラブを選択するのであれば、それは相手への思いやりなので、後悔する必要はなくて、どう受け止めるのかは相手の問題なので「課題の分離」をする必要があり、悩む必要はないのだと思います。

少し違う話になりますが、相手が何かの目標に向かって努力している時に相談を受けて、例えば「将来の為にこの資格をとろうと頑張っているんだよ」と言ってきたときに、僕の場合ですが、「その業界は衰退気味だと思う」とか「試験難しいから3人に1人くらいしか受からないみたいだよ」みたいにマイナスの事を言うことが多かったです。

せっかく相手は前向きに考えているのに、悪気なく素直に思ったことを言って、それプラス自分は「その業界が衰退傾向にあることを知っている」ことをアピールして自分を良く見せようとしたりしていました。

この部分は自分では修正できたと思っています。今だったら、相手が前向きに頑張っていることであれば、プラスのことを言うようにしています。

自分の中で、「素直な人」になるべきで、思ったことはそのまま言うようにしようと考えてのことだったのですが、なんでもかんでも素直に言うことが良いわけではなくて、その状況に合わせることも人間関係を潤滑にするためには必要だろうと思います。

しかし、そうやって、自分が思ったことを素直に言わずにトラブルを避け続けていると、自分が修正するべき部分はいつになっても分からないと思います。

なので、自然に学べることを学べずに大人になった人は、これから自分が傷付き相手を気付ける覚悟が必要で、自分の周りに人がいなくなるかもしれない覚悟が必要なのかもしれないです。

でも今がスタート地点だと考えて、積極的に行動して修正することを繰り返すことで、少しづつ「積極的に行動し結果を気にしない」考え方になるのだろうと思います。

ゴールまでの道のりは長いかもしれませんが、覚悟して前に進むことで、「堂々と緊張すること」が出来るようになると思います。

もちろん、挫折して膝を抱えて座り込むこともありますが、遠回りすることでしか見えない景色も見えるようになると思います。

対人恐怖症の人はそれぞれに、自分なりの人生を歩んでいます。みんなバラバラなのかもしれないです。僕を嫌いな人もいるでしょうし、好きな人もいると思います。でも、みんな仲間なので、最後はゴールで会いたいですね。

完全に話の流れが変わってきましたが、振り返ってみると、この2つの言葉を理解できていると、僕の場合の対人恐怖症は克服できると思います。

対人恐怖症の克服のために読んだ方が良いと思う本

嫌われる勇気
自分のうけいれ方

その他色々ありますが、この2冊は読んだ方が良いと思います。大型連休などで時間のある時に一気に読んだ方が良いと思います。

《追記》

目標は「堂々と緊張すること」ですが、堂々と緊張するという感覚を実感できれば、その先は自然に良くなっていくので、緊張しなくなります。

克服するために普段こころに準備しておく3つの言葉(我流でごめんなさい)2

1、目標は堂々と緊張すること
2、積極的に行動し結果は気にしない
3、緊張した時は緊張しながら目の前のことをする

前回の記事の続きというか、付け足しみたいな感じです。

1、目標は堂々と緊張すること

僕の対人恐怖症の症状は、視線が気になったり、顔がひきつったりとかです。赤面することもありましたが、元々色黒なのでそこまで気にはしていませんでした。でも顔がほてってきたときは、誤魔化すために「この部屋暑いですよね」とか言ったり、上着を一枚脱いだりすることもありました。

緊張している時に症状がでるのは当たり前なのかもしれませんが、症状がでると余計に緊張してくるので、どっちが先なのか分かりませんけど、僕の場合はこの状況になると、自分の中で症状が暴走して、身動きがとれない感じでした。上手く表現できないので伝わりにくいと思いますけど、こうなると、とにかくその場から撤退したくなります。穴があればいったん隠れたくなります。

この状況になると、顔がひきつっているのがバレないように必死になるのですが、僕の場合は手で口元を隠すか、無理やり笑顔を作るかしかありませんでした。そして余計にひきつったりとかします。これは人それぞれだと思います。

視線が気になった時は、気になっていないフリをするか、眼球を真っ直ぐさせるか、気になる方の片目を閉じるとか、そういう感じです。分かる人には分かると思いますけど、多分伝わりにくい表現になっていると思います。

自分の症状に対しての対策って人それぞれだと思いますけど、人の行動って多分同じような感じなんでしょうね。まさか世の中で自分だけが特殊な行動をしているとは思えませんしね。

症状が辛いので、症状をどうにかしようと考えます。これは当たり前のことで、誰もがそうするだろうと思います。そうしないとどうにもならないっていうか、それしか方法がなかったですし、僕はそれで助かることも多かったと思っています。

ただ、これは応急処置みたいなもので、その場限りの対策でした。なので、応急処置は必要なのですが(僕の場合)、それをしながらでも、ちょっと視点を変えて考えることも必要だろうと思います。

前にどこかに書きましたけど、手が震えるという人がカウンセリングに来て、「もっと手を震わせてみてください」と言ったら、手が震えなくなったという話があります。

なぜそうなるのかを考えてみると、「緊張して手が震える」と悩んでいる人は、「震えてはダメだ」と思うことで余計に手が震えるのだと思います。

緊張した時に手が震えても良い環境、震えても問題ない環境とか状況だった場合に、「堂々と手を震えさせる」ことが出来ると思います。緊張した時に堂々と手を震えさせることができると、緊張しなくなって手が震えなくなるのだと思います。

なので、対人恐怖症を克服すると「症状がでなくなった状態」になるというのは正しいのだと思いますが、直接そこを目指すと間違った努力になる場合があると思います。

そういう意味で僕の経験から「堂々と緊張すること」を目標にするべきだと思っています。

「堂々と緊張する」感覚を実感できると、ほぼ治っているというか、そもそも「完璧に治った状態」のイメージを僕は間違えていたと思っています。

僕の中で「完璧に治った状態」というのは、緊張することもなく、表情が常に爽やかで、いつでも社交的で、落ち込むこともなく、誰とでも明るく楽しそうに会話している自分というイメージでした。

しかし、実際はそんな人は世の中にいなくて、例えば嫌な仕事を押し付けられたら嫌な顔もしますし、嫌味を言われたときには苦笑いしますし、どこかの社長にあいさつする機会がれば緊張しますし、異性の前では照れたりしますし、仕事で失敗した時は周りの目も気になります。

これは普通のことで、緊張してひきつることもあれば、周りの目が気になることもありますし、恥ずかしいと感じた時にほてったりします。

誰もが持っている感情や表現の範囲なので、堂々とするだけで十分であって、それを完璧に無くそうとすることは無理なのだと思います。

テレビで女優さんが緊張した時に、手をウチワ代わりにして顔を扇いでいることは多いですし、芸人がスベッた時に周りを気にしてキョロキョロすることも多いです。テレビで言われると困ることを言われてひきつっている人もいますよね。

自分の感情とか表情を堂々とだすのか、大げさに考えて「バレないように」と考えるのかの違いなんだろうと思います。

堂々と緊張できる人は、緊張した場面を振り返って、「あの時は緊張しちゃったよ」と普通のことのように言葉にできますが、堂々と緊張できない僕みたいな人は、その場面を振り返って何も言わずに悩んでいるのだと思います。同じ状況で同じように緊張したとしても、その出来事に対しての受け止め方だけの問題だと思います。

そして、「緊張してはイケない」「緊張しない人になりたい」と強く考えるのだと思います。

なので、「緊張しない人」になることが「克服した状態」だと勘違いしやすいのだろうと思います。僕だけかもしれないですけどね。

でも、そうではなくて「堂々と緊張すること」が出来る状態が「克服した状態」になるのだと思います。

生活に支障がなければ、対人恐怖症は治っている状態だと思うので、緊張しても、症状がでても、自分が苦しくなければ問題はないっていうか、そういう感じだと思います。その場面をどう捉えるのかだと思います。

なので、目標を「緊張しない人」「症状がでない人」にすると間違った努力になるのかもしれないです。

前回の続きで伝わりやすくするために書いたのですが、余計に伝わらなくなっていたらごめんなさい。

2、積極的に行動し結果は気にしない

緊張する場面に直面して症状がでるのが嫌なので、やったほうが良いと自分で分かっていることをしないことがあります。これは当然そうなるのですが、自分がいちばん辛くなる場面ではなくて、「ちょっと緊張する」「ちょっと恥ずかしい」と感じる場面では少しづつ積極的に行動してみるほうが良いと思います。

今までに、「恥ずかしいからやめておこう」という選択をして後悔することは多かったです。ちょっとしたことなのですが、
「こっちを選択した方が良い」のは分かっているのですが、「恥ずかしいからやめておこう」という選択をして、結局何も行動せずに、気付いていないフリをすることもありました。

例えば、ドアの前に両手で重たい荷物を持った人が歩いてきた時に、自分がドアの近くで立っていたとしたら、知らない人だとしても、単純にドアを開けてあげること普通だと思うのですが、僕の場合は「恥ずかしいからやめておこう」「気付かなかったことにしよう」として、何もしなかったことがあります。

ドアを開けてあげることで、その後に、この人が「ありがとう」と言ってくるだろうと想像できるので、ここで会話をする切っ掛けを自分で作ることになります。会話するときに顔がひきつったり赤くなるのが嫌なので「何もしない」という選択をしたのだと思います。

でも、緊張するかもしれませんが、緊張しながらでも「こっちを選択した方が良い」と分かっているのなら、そうすれば良いのだと思います。

3、緊張した時は緊張しながら目の前のことをする

上の続きですけど、緊張しながら自分が正しいと思うことを行動することで自信になると思います。繰り返しになりますけど、目標は「堂々と緊張すること」なので、たとえ緊張して恥をかいたとしても、目標に向かって努力しているので、それは自分にとってプラスになりますし、今がスタート地点なのでいきなり成功することを目指すのではなくて、失敗もしながら前に進んでいく感覚を自分が持っていれば、それが勇気になると思いますし、心の支えにもなります。

なので、自分が嫌な事を積極的にするということではなくて、「恥ずかしいからやめておこう」「緊張するからやめておこう」という、いつものクセというか、そこから一歩前に踏み込んでみることは必要だろうと思います。

僕の場合ですが、辛い辛いと言いながら、実はその状態の自分がいちばん楽だったのかもしれないです。

お風呂で例えると、ぬるま湯に浸かっている状態で、そこから外に出て恥をかく勇気がなかったのかもしれないです。恥をかくことが怖いので、辛いけどぬるま湯に浸かっていたのかなって思います。これは僕の場合ですけどね。

緊張した場面で、緊張したことを隠そうとするのではなくて、緊張している自分を見せることは難しいと思いますが、例えばコンビニでお金を払う時とかに、「堂々と緊張してみよう」と考えて行動してみると、案外上手くいくことはあると思います。

緊張している自分を味わって、その時間を嬉しく思うことができるかもしれません。

プチ認知療法コンビニ編で書きましたけど、レジでお金をゆっくり払う時に、緊張している自分を心で確認しながら行動すると、今までにない感覚になることはあると思います。

そういうちょっとした自分の感覚の変化が少しの自信になっていくので、それを繰り返すことでどんどん良くなっていくのだろうと思います。

緊張したときこそ、自分が成長するチャンスなのかもしれません。(コメント頂いた方のパクリです)

克服するために普段こころに準備しておく3つの言葉(我流でごめんなさい)3

1、目標は堂々と緊張すること
2、積極的に行動し結果は気にしない
3、緊張した時は緊張しながら目の前のことをする

普段こころに準備しておく3つの言葉を自分なりに考えてみたのですが、正直、自分の対人恐怖症のことしか分からないので、参考にしてくれている人がいるのかどうか分かりませんが、調子に乗って続きを書こうと思います。

今までの「まとめ」みたいな感じです。

普段の生活の中で、いったい何をすると「堂々と緊張すること」ができるようになるのか、ということが重要で、逆にそれを書かないと意味がないっていうか、言いっぱなしで終わっても無駄になるので真剣に考えようと思います。

僕の対人恐怖症の場合なので、症状が全然違う人やカウンセリング中の人はこのブログを読まずにカウンセラーの言うことに集中したほうが良いと思います。

このブログは10年前の自分へのアドバイスです。

前回、目標を「堂々と緊張すること」にする意味を書きました。それで具体的にどう行動すればそうなれるのか、ということなのですが、それが分かると、その日の自分の目標が出来るので、落ち込むこともありますが、目標があれば頑張れると思います。

色々と考えましたが「今まで避けていた場面をあえて緊張しながらやってみる」にたどり着きました。

ちょっと意味が伝わりにくいと思いますが、今まで緊張するだろうと思う場面を避ける行動をしていましたが、これからは、「あえて緊張しながらやってみる」ことをします。

全ての場面でそうするのではなくて、一日に一回でも良いと思うのですが、「ちょっと緊張するからやめておこうかな」と考えた場面を避けるのではなくて、あえてその場面で緊張しながらやってみるということです。

ほんとに些細なことで良いと思います。っていうか些細な事のほうが良いと思います。

いきなり自分のいちばん辛い場面でチャレンジしようと思っても無理なものは無理ですし、些細な事の中にこそ答えがあると思います。

例えば、家を出るときに、今までは親に「行ってきます!」ということが恥ずかしくて言えなかったのなら、言ったほうが良いということは分かっているけど、恥ずかしいからやめていたのだと思うので、それをあえて緊張しながら言ってみるとか、それくらい些細なことで良いと思います。

家の玄関を出てすぐに、隣の奥さんと顔を合わせた時に、今までだと緊張するから気付いていないフリをしていましたが、あえて緊張しながら会釈だけするとかで良いと思います。

目的地に向かうまでの間で、目の前で転んだ人を見かけた時は、今までだったら、自分から「大丈夫ですか?」と声を掛けるのが恥ずかしいから、自分以外の誰かが声を掛けるまで気付かなかったフリをしますが、声を掛けた方が良いと分かっているのなら、あえて緊張しながら「大丈夫ですか」と話しかけてみるとかです。

自分の前を歩いている人が何かを落とした時に今までなら、ちょっと距離があるので少し大きめの声で「落としましたよ!」と言うのが恥ずかしくて緊張するので、気付いていないフリや誰かが声を掛けるのを待っていましたが、「声を掛ける方が良い」と分かってるのなら、あえて緊張しながら少し大きめの声で声を掛けてみるとかです。

自分の本心が嫌だと感じていることを無理に積極的に行動するのではなくて、今までの自分だったら本心ではそうしたいと思っていて、でも「緊張するからやめておく」という選択をしていたものを、これからは、あえて緊張しながらやってみることで、今までと違う感覚を実感できると思います。

繰り返しになりますけど、自分にとって些細なことで良いと思います。些細な事って人それぞれなので、本人にしか具体的には分からないですし、環境や状況が違うので自分の判断で良いと思います。

そうやって、自分にとって些細なことでも、今までなら緊張するからやめていたことがあれば、これからは、積極的に「あえ緊張しながらやってみる」ことで、何か気付きはあると思います。

やっぱり緊張しまくったから、やらない方が良かったと思うこともあるのかもしれません。もし、そうなったら、もっと些細なことから始めるのが良いのかもしれないです。

家の中だけでも、こういう些細なことはありますしね。ただ、一人暮らしだと少ないかもしれないです。

親や兄弟と同居している場合だったら、もっと些細なことは多いので、緊張するからとか恥ずかしいからとか、照れくさいからという理由で避けていた場面で、あえて緊張しながらやるチャンスは多いと思います。

あえて緊張する些細な場面を自分で探して、実際に緊張しながら行動することで、緊張することが好きになると思います。

本心では自分はそれがしたいと思っているのに、緊張するからという理由でやめていただけで、自分の本心での願いが叶っているので当然と言えば当然なのかもしれないです。

町で見かけたお婆ちゃんが、重たい荷物を運んでいた時に、今までなら緊張するから何もしないことを選択していましたが、本心では手伝ってあげたいと思っているので、それが達成できたら嬉しいですよね。

目的は堂々と緊張することです。緊張しながら自分の本心通りに行動することができれば、多分、自分が緊張していることがバカバカしくなるくらい嬉しいと思います。

あえて緊張しながら行動することで、自分に嘘をつく必要がなくなりますし、自分の本当の気持ちをそのまま行動に移すことができるので、それが少しづつ自信になるのだろうと思います。

自分に嘘をついていないので、自分の行動に自信が持てるようになると思います。逆に言うと、今までは、自分に嘘をついてまで、緊張する場面を避けていたことになるのかもしれません。

プチ認知療法コンビニ編でも書きましたけど、お金を払う時に、本当は小銭までキッチリ払いたいのに(財布の中が1円、5円だらけにならないように)緊張するから、千円札だけで支払いをしていたのを、これからは、あえて緊張しながら1円単位までゆっくりと財布からだすようにします。

そうやって堂々と緊張しながら、自分の本心の通りに行動することができると、自信になりますし、今までは緊張している自分が嫌いでしたが、好きになると思います。

堂々と緊張できている瞬間の自分に気付いたときが、壁を乗り越える瞬間になるのかもしれないです。

人見知りは80%バレている。だったら緊張しながらでいいかも。

「人見知りは80%バレている」と、ほんまでっかTVで植木理恵さんが言ってました。

ハッキリと数字を覚えていないのですが、80%とか85%とかそれくらいです。芸能人では黒木メイサさんとか本田翼さんとかも「私は人見知りです」ってテレビで言っていました。

テレビで観ている感じでは、人見知りっぽく見えないのですが、実際に会うと「あ、人見知りなのかな」と感じるのかもしれないですね。

自分の人見知りって、すごい確率でバレるんだなーと思ってちょっとビックリしました。僕の場合は人見知りな自分が嫌だったので、できるだけバレないように頑張っていたのですが、どうやら無駄だったようです。

よく考えるとバレているのだったら、隠す必要もなかったなーって思います。今更そんなことを思ってもどうしようもないですけどね。

でも日常の緊張する場面で人見知りがバレているのだったら、緊張してもいいっていうか、人見知りがバレないようにとか緊張しているのをバレないようにすると逆に不自然っていうか自分が辛いだけなんだろうと思います。

自分の人見知りが理由で嫌われることはないですしね。

ただ、人見知りだと誤解を招きやすいことはあると思います。なので、それを自分が理解できていれば、誤解されない工夫は必要かもしれないです。

自分が人見知りで緊張することを隠す努力をするのであれば、自分の人見知りで誤解を招いて相手に嫌な思いをさせない工夫は思いやりなので、正しい努力になるのかなって思います。相手に対しての礼儀でもあると思います。

自分が人見知りで緊張することは隠してもバレてるみたいなので、それだったら隠さずに正しい努力をする方が良さそうです。

相手の行動に思いやりを感じた時に、自分が人見知りで緊張するからと言って、それを無視したり気付かなかったフリをするのではなくて、緊張しながらでも思いやりで返すことが礼儀なのかなって思います。

例えば、昨日が初対面だった人が次の日の今日の朝に「おはよう!」と言ってきたときに、「おはよう!」の言葉に凄く思いやりを感じることがあります。

そんな場面で、自分が恥ずかしくて緊張するからといって、無視することがありました。無視というか自分で理由(いいわけ)を考えながら気付いていないフリをすることがありました。

今考えると、すごく失礼なことで、相手の思いやりを完全に無視していたと思います。

自分があいさつをすることで会話が始まって、その会話中に緊張している自分を相手に見られるのが怖かったんだろうと思います。自分の都合で相手の思いやりを無視していたと思います。

緊張している自分を見られることは、相手から嫌われるリスクがあると考えて、深くコミュニケーションをとることができない状態になっていたと思います。

人見知りな自分はバレているので、それだったら、自分の都合で相手の思いやりを無視するくらいなら、緊張しながらでも相手に思いやりで返す方が、相手は納得するだろうと思います。

「あ、この人、人見知りで緊張しやすいタイプみたいだけど気持ちは通じ合うかな」と考えると思います。なので、人見知りだから、この人のことは嫌いとか、そういう流れにはならないと思います。逆に考えて相手が人見知りだったとしても嫌いにはならないですしね。

どちらかというと、人見知りで緊張するのを理由に思やりを思いやりで返さずに無視する方が嫌いと感じると思います。

僕の場合ですけど、自分を守るために緊張する場面を避けて、相手の思いやりを無視するくらいだったら、緊張しながらでも思いやりには思いやりに答えるほうが良かったと思っています。

自分自身が嫌いな部分をさらけ出すことになりますが、自分が緊張しやすいことはすでにバレているので、隠す必要もなかったのかなって思います。

本当は、相手の思いやりには、思いやりで返したいと感じているのに、緊張するから「何もしない」という選択をしていたのだと思います。

バレているんだったら、緊張しながらでいいかも。

《追記》

人はいつでも変わることができます。変わる切っ掛けやタイミングは人それぞれかもしれませんが、変わる勇気がないだけなのかもしれないです。今までの自分のままだと辛いですが、でも本当はそこが一番居心地が良いと感じているのかもしれません。

自分が変わればどうなるのかが分からずに不安で怖いだけなのかもしれないです。

でも、今が辛いなら変わるべきだと思います。あえて緊張しながら自分の本心に嘘をつくことなく行動できた時、そこが変わった瞬間になるのかもしれないです。

過去を振り返って自分を許す

過去を振り返ってみると、自分で反省する場面は結構あります。

全部は書ききれないほど沢山あるので書きませんけど、1つだけ僕のエピソードを書こうと思います。誰も興味ないと思いますし、大したエピソードでもないのですが、10年以上前のことなのに未だに憶えているので僕にとっては凄く反省した場面だったのかなって思います。

以前、何百人もいる大きな職場で働いていたのですが、同じ部署で仕事中もちょいちょい顔を合わせて少し話す機会もある相手だったのですが、その人は社交的で皆から好かれるタイプの人でした。僕も好きだったのですが、会話すると緊張するので仕事中も殆ど話したことがなくて、好感は持っていたのですが親しくはなかったです。

僕は電車通勤だったのですが仕事が終わって帰るときに、その人も同じ駅に向かって歩いていました。

ちょうど帰りが一緒になったので、

Aさん「電車で帰るんだ?」
僕「そう、そこの駅から〇〇線で〇〇駅まで帰ります」

そんな会話でした。

普通だったら、そこから駅まで会話が続くのでしょうけど、僕はどんどん早足になって逃げるようにどんどん先に先に歩いて行きました。ちょうど商店街だったので逃げやすかったというのも変ですが、逃げているのがバレないくらいの「ちょっと早歩きなのかな」と思えるくらいのスピードで逃げ切りました。

そのまま駅に到着して、逃げ切りは成功したのですが、その時の自分の後悔は半端じゃなかったです。

エピソードはここまでです。

今振り返って思うことは、仕事中はあまりコミュニケーションがとれないことが多いので、仕事帰りとか朝一とかに会話をして、それを楽しんだり、仕事もやりやすくなるので、仕事中以外の時間で交流を図る人は多いと思います。

多分、その人も僕へ思いやりがあったと思います。仕事中は僕があまりしゃべらないから、少し仲良くなろうとか、僕がどんな人なのかとか興味があったんだろうと思います。

でも、僕はそれを裏切ってしまったというか、自分が緊張するからという理由で逃げてしまいました。

緊張した自分を見られて、嫌われるくらいなら、今の現状のままで、「顔は合すけどそんなに親しくない人で、好きでも嫌いでもない人」を維持しようと考えての行動だったと思います。

その出来事を今でも凄く反省しています。

でも、しょうがないかなって思います。対人恐怖症だからしょうがないですよね。反省しても過去に戻ることはできませんし、「あの時はごめんね」って言いたくても、今更その人に会う機会もないです。

当時の自分を責めてもどうしようもないので、対人恐怖症だったからしょうがないことだと思うようにしています。

でも、その時に、緊張している自分を見られるのが怖かったのですが、仮に「緊張している自分を見られる」勇気があれば、緊張しながらでも相手の思いやりに答えることはできただろうと思います。

自分の頭の中で過去を振り返って、あえて緊張しながら思いやりに答えていたらどうだっただろうと、イメージでその場面をやり直してみると、凄く上手くいきました。

あえて緊張しながら相手の思いやりに答えながら会話している場面をイメージすると、嫌だった過去の記憶が、楽しかった思い出に変わるようです。

ちょっと妄想し過ぎかもしれないですけど、なんとなく自分を許すことができたような気がします。

当時、出来ないものは出来ないので、しょうがないことだと思っています。ただ、これからは、こういう反省をしなくてもいいように、こういう場面があれば、あえて緊張しながら思いやりで答えるようにしようと思っています。

自分では過去の清算は出来たと思っています。

その当時の出来事は、自分にとってマイナスで嫌な過去の記憶でしたが、今はそうでもないっていうか、「逃げること」はしょうがないことなので、自分で自分を許そうと思っています。

そうやって、過去の記憶をどんどん塗り替えていくことは出来ると思います。今が過去を変える、未来が今を変えることは出来ると思います。

アドラー心理学ではトラウマの存在を完全に否定する考え方のようです。そう言われれば確かにそうで、トラウマだと思っている過去の出来事は、自分が主観的に捉えているだけで、客観的な事実ではなさそうです。

ただ、主観的に捉えている状態のことをトラウマって表現するのだろうと思います。なので、主観的ではなくて客観的に捉えることができればトラウマは消えるのかなって思います。

大したエピソードではなかったですけど、来年もよろしくお願いします!良いお年を。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。