対人恐怖症が治りました

ひきこもり、社会不安障害(SAD)の方にも、お役に立てると思います。

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治る感覚を実感できるとき。

今まで、何度も書いているので、「また、それか!」って思われるかもしれませんが、書きたくなったので書きます。

「今の自分が何点の出来なのか?」

僕の場合は、この問いに意味がないことに気が付いたとき、「あっ、治るんだ!」と感じました。

「今がスタート地点でいいんだ!」

そう考えるようになって、楽になりました。

「今の自分をどう思われても関係ない」

今の自分に、自分自身で劣っていると感じている部分があったとしても、それは育った環境とかが大きいです。人それぞれに育った環境が違うので、それぞれ個性があります。

他人から見た時に、それがその人のプラスに見えたりマイナスに見えたりします。

自分だけがマイナスに見られれているのではないか、と悲劇のヒロインになるのは違うと思います。

年を重ね、様々な人に会うとことで実感できますが、「人それぞれに悩みを持っている」という事実があります。客観的にみて社交的で明るくて、その人の人生は楽しそうだと感じる人であっても、悩みや、暗い過去を持っている場合がほとんどです。

なので、悩んでいるのはお互い様的なところだと思います。

「自分は、相手の欠点を否定せずに、欠点を持っていることを受け入れるので、そういう人を嫌いにならないですし、やさしくできます。でも、自分の欠点は相手から否定されますし、やさしくされませんし、受け入れられません。」

僕は、そう思っていました。

「勘違いするのも、いい加減にしろ!」と言いたくなりますよね。自分がどんだけいい人なんですか?っていう話です。

自分は良い人で、他人は悪い人。自分は器が大きくて、他人は器が小さい。自分には他人を理解する力があって、他人には自分を理解する力がない。

今、振り返ると、僕はそういう思考だったと感じています。

結局、何を言いたいかというと、「今の自分が何点の出来なのか?」は、どうでもいいことだということです。

今の自分が劣っていると感じていても、それを許せていないのは自分自身であって、他人ではない、ということです。

「こんな自分でも大丈夫なんだ」と思うためには、まず、自分が劣っていると感じている部分を、自分で認めてあげる必要はあると思います。

世の中のほとんどの人が、それぞれに、自分が劣っていると感じる部分や暗い過去があって、それは育った環境が大きいことがほとんどだと思います。なので本人に責任がないことは多いです。

自分だけが、欠点のある相手を受け入れることができると考えるのではなくて、他人にも、その能力があると考えるのが正しいのだろうと思います。

他人をバカにしていると、そういうことが起きるのだと思います。他人をバカにしていなければ、自分の持っている能力は、他人も持っていると考えるのだと思います。

自分だけがいい人で、他人は悪い人。と考えるのではなくて、自分がいい人であれば、他人もいい人と考えるべきだろうと思います。

僕は時間が掛かりましたが、今の自分が何点の出来なのか?に意味がなくて、劣っている部分があれば努力すればいいだけで、それを劣等感として悩む必要はないのだと思います。

人前で話すのが苦手であれば、堂々と緊張しながら話す練習をすればいいのであって、「緊張している自分」を卑屈に考える必要はないのだと思います。

「緊張する自分=今の自分」が何点なのか?その問いに意味はなくて、仮に恥をかいたとしても、恥をかきながら自分を成長させることが、自分にとっての目的になるんだろうと思います。

今の自分が相手にどう思われようと、相手はそれを受け入れる準備はできています。受け入れる準備ができていないのは自分だけです。

自分の欠点を自分で許してあげることが大切で、苦しみながら少しづつ成長すれば、それでいいのだと思います。

自分に配られたカードが不運だと感じて、そのカードを配りな直してほしいと考えても、無駄な時間になります。カードを配り直すことは誰にもできません。

そのカードが配られたのが、今だとすれば、そのカードでどうするか?どう進んでいくのかが人生だと思います。

仮に、配られたカードが不運だと感じても、そのカードの使い方は人それぞれで、自分の人生なので誰にも邪魔をされずに使うことができます。

僕の場合は「今の自分は何点の出来なのか?」に意味がないことに気が付き、楽になりました。

視線恐怖、表情恐怖などがあっても、そんな自分は何点なのか?を考える必要はなくて、ありながら出来ることをすることで、「気になってもいいんだ」「ひきつってもいいんだ」という感覚になると思います。

堂々と、今の自分を見せることは勇気がいることかもしれません。

表情恐怖が辛いと感じるのは、顔がひきつっている自分を受け入れる準備は相手にはありますが、受け入れる準備が自分にないのだと思います。

なので、ひきつりながら会話する自分を、今の自分として受け入れることが必要だと思います。







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考え方の幅を広げられなかった理由

僕の対人恐怖がいちばん辛かったのが高校生の頃です。

それから、ずっと悩んできたように思います。治そう治そうと考えたり、いつ楽になるんだろうとか考えて不安が大きかったです。将来に期待をもっている自分と将来を不安に思う自分がいました。

自分の考え方の幅を広げようという発想はなかったです。

対人恐怖症の事だけに目を向けている状態だったと思います。辛かったので当たり前なんですが、それが悩みで、そのことしか考えられなかったんだと思います。

誰かと会話するときもそうですし、家にいる時も、会社にいるときも、常に自分の対人恐怖のことを考えていたと思います。

例えば、友人と会話している時に、「あっ、この人はこういう考え方をするんだ」と、じっくり考えてみるということができませんでした。

僕の場合は友人が発言したことも、うわの空だったと思います。

何故かというと、友人の発言に対して受け答えする自分を意識していたからだと思います。自分の中で理想だと考える受け答えの仕方をしないと相手から嫌われるという恐怖があったからだと思います。

「今、笑顔で返事するのが普通の人なんだろうな」「今、笑わないとイケないんだろうな」とか、そんな感じだったと思います。

自分がどう思われるのか、どんなタイプの人間に思われるだろうか、そんな風に考えていました。

相手の発言をじっくり考えて、「こういう考え方をする人もいるんだな」という思考にはならなかったです。自分との違いを深く考えて、その考えを受け入れたり否定したりすることをする以前に、自分がどう思われるのかを考えていたと思います。

この状態の自分は何年も続きました。もしかすると、もっと早くに、この間違った努力(自分を良く見せよう)に気付き、正しい努力(考え方の幅を広げるために相手の話をじっくり聞く)をしていれば、楽になれたのかもしれません。

視野が狭かったのかなって思います。そう考えると、悩んでいる時に旅をして、「こんな小さなことで悩んでいたのか」とスッキリしたという話は納得できるような気がします。

学生の頃は、まったく考えもしなかったのですが、「自分の考え方」「自分のものさし」が、自分では正解のように感じることがありますが、実際は世の中には様々な考え方の人がいて、自分の考え方はそのひとつにすぎないのだろうと思います。

なので、自分の考え方が偏っていることは十分に考えられます。それが個性になるので、それはそれで良いのだと思いますが、他人の考え方を知ることで自分の考え方の幅は広がりますから、どんな相手でも「そういう考え方の人なんだ」と受け入れることができるようになると思います。

そうなると、ちょっとしたことでイライラせずに、自分が楽に生きることが出来るようになるのかなって思います。イライラする時は、「自分に原因がある」といいますが、その通りだと思います。

逆に、相手がイライラしている時に、その相手のことが理解できるようになって、ムカつくことも少なくなることはあると思います。

一生のうちで、自分がイライラしたり、気分が悪い時間の割合は、できるだけ少ないほうが自分にとってプラスになると思います。イライラして得することはないですからね。

心穏やかに、ほわほわした感じで過ごすことができれば、素敵だなって個人的に思います。

ちょっと違う話ですが例えば、周りに誰もいない状態で自分と幼稚園児の2人きりだとして、幼稚園児が迷子になっていて困った様子だったときに、「どうしたの?」って声を掛けますよね。この場面を想像してみると自分の発言に対して「自分はどう思われるのか」ということよりも、その子の話を深く理解しようと、目線を合わせて話しかけると思います。

僕の考えでは、この状態の時は対人恐怖症は治っていると思います。治っている状態なので、相手の言葉だけに集中できるのだろうと思います。

僕の場合ですが、「自分のことで精一杯なので何もしない、何もできない」という感覚でしたが、実は、自分のことで精一杯だからこそ、周りに目を向ける必要があるのかなって思います。

自分に目を向けている状態だと、「自分の考え」だけが全てで、その小さな枠の中での解決策を模索することになると思います。

結局、僕が考え方の幅を広げることができなかった理由は、対人恐怖症だったからだと思います。

対人恐怖症を楽にするために、考え方の幅を広げることが必要なのだと思いますが、現実は対人恐怖症だから考え方の幅を広げることが難しいのだろうと思います。

しかし、それを理解したうえで、相手を理解しようと努力することは
正しい努力だろうと思います。

相手が幼稚園児の場合では愛情で会話することができそうです。この時、対人恐怖症は治っている状態だとすれば、相手が変わって幼稚園児ではなくても愛情で接することができれば、対人恐怖症は治るのかなって思います。

自分のことで精一杯だからこそ、愛情で接することが必要なのかもしれません。

早く直さなければと考えることはありますが、実は、その前に相手の話をじっくり聞きいて愛情で接することや、考え方の幅を広げることが、遠回りのようで治すための近道なのかなって考えたりします。

この考え方自体も、様々な考え方の一つにすぎないのだと思いますが、僕的にはそう思います。


コミュニケーションが上手くいかない人が、今できること、できないこと。

コミュニケーションが苦手なことは、悪いことではないです。単に、その人のほんの一部分のことであって、全てを表しているわけではないです。人見知り、シャイ、内気な人にとって、そこが魅力的に見えることもあります。事実、そういう異性を好きになる人はいます。

ただ、コミュニケーションが苦手だと、「ちょっと噛み合わないな」と思われることはあると思います。

野球のキャッチボールをイメージしてみると、相手は自分に向かって上手く捕れるように投げてきますよね。僕の場合は、そのボールを相手の捕りやすい場所に投げますが、1/3は訳の分からない方へ投げてしまうことがありました。

自分では、その訳の分からない方向に投げることの理由があるので理解できるのですが、相手からすると「訳の分からない方向」は「訳の分からない方向」でしかないのだと思います。

自分にとっては理由があるので、自然なことだと感じることがありますが、理由を知らない相手にとっては不自然だと感じることはあると思います。それが「ちょっと噛み合わないな」と感じる理由だと思います。

僕の場合での上手く会話のキャッチボールが出来ない理由を以前書きましたが、簡単にいうと、余計な事を考えているからです。自分を良く見せよう、カッコいい人に思われたい、デキる人に思われたいとかです。

野球のキャッチボールだと単純に相手に向かって投げれば、それで解決することなのですが、会話やコミュニケーションの場合は難しいと感じることはあると思います。

僕の場合の対人恐怖症だと、自分の症状が気になって、上手く相手に向けて投げることができませんでした。

対人恐怖症なのでしょうがないことなのかもしれませんが、それでは、「ちょっと噛み合わないな」と思われることも、「しょうがないこと」のままになってしまいます。

なので、話がかみ合うように努力することは正しい努力だと思います。

では、話しが噛み合って上手くコミュニケーションをとるには、どうすればいいのか?ということを考えてみました。

僕の場合での、話が噛み合わない理由は、自分の印象を高めようとしていたことです。相手から見た自分のイメージが5だろうと考えて、それを8とか9にしようとしていました。

「相手から見た自分のイメージが5」というのは、自分が勝手に判断したものです。例えば、「5」が相手から相手にされるか、されないかの微妙なラインだった場合に、「このままでは嫌われる、相手にされない」と考えて、それを8とか9にしようと考えていました。(1から10で評価したとして)

対人恐怖がなかったとすれば、相手から「5」だと思われても、それほど大したことではないのですが、僕の場合は、それが全てのように感じていましたので、会話が噛み合わないことが多かったと思います。

それだけなら、まだいいのですが、僕の場合は「相手の感情をほったらかし」にしていたと思います。

相手から見た自分の印象を高めようと考えている状態なので、相手の感情にあまり興味がなかったように思います。相手の言葉が自分への思いやりだっり、共感を求めている場合でも、それに気付かない状態で、ほったらかしにしていたのだろうと思います。

例えばですけど、

相手「今、こんな辛いことがあって、ちょっと落ち込んでいるんだよ」
自分「へー、そうなんだ。そんなことより、僕はあなたに良い人だと思ってほしいんだ」

もう一つの例えばですけど、

相手「今日はこんなことで成功して嬉しかったんだよ」
自分「へー、そうなんだ。そんなことはどうでもいいんだけど、僕って変な人に見えるかな?」

口には出さないですけど、そういう気持ちはあったと思います。実際「冷たい人だね」と言われることがありました。

そりゃそうですよね、相手の感情をほったらかしにして、自分の印象を高めようとしていれば、話が噛み合わずに冷たい人って言われますよね。

僕の場合は、そんなことの繰り返しでコミュニケーションが上手くいきませんでしたので、誰かといるより1人でいるほうが楽だと考えていました。

僕が言いたいのは、コミュニケーションが苦手な人が、すぐに上手くなるのは難しいですが、「相手の感情をほったらかし」にしないことはできるんじゃないかなってことです。

前に書きましたけど、相手が自分に話している時に、恥ずかしいからといって、ちょこちょこ動いたり、何か作業をしながら聞いていると、「この人ちゃんと話聞いてるのかな?」ってなると思います。

例えば、自分が何かボールペンで書いている時に、話しかけられた場合だと、文字を書きながら話を聞く人と、ボールペンを置いて話を聞く人だったら、後者のほうが「あっ、ちゃんと聞いてくれている」と感じると思います。

そうは言っても、僕の場合の対人恐怖症だと、恥ずかしいとか、緊張するっていうのがあるので、上手くいかなかったです。

なので、ちょっとだけ「話を聞いていますよ」アピールをしていました。例えば、朝礼とかだったらノートをだしてメモるとか、仕事中だと作業をいったん止めるとかです。

行動を先にすることで、あとから気持ちが追いかけてくることはあると思います。話に集中できない状態だったとしても、話を聞いている体勢にすることで上手くいくことはありました。

対人恐怖症だと悪気がなくても、勘違いされることは多いと思います。

本当は相手に興味があり仲良くしたいのに、相手からすると『嫌われてるのかな』と勘違いさせることがあると思います。

なので、コミュニケーションが苦手で会話が空回りする場合は、自分は今どう思われているのかを考えながらでもいいと思うのですが、少しだけ聞いていますよアピールをすることで、気持ちがあとからついてくるっていうか、少しづつ会話がかみ合うようになると思います。

それを繰り返すことで、自分に向いている意識を相手に向けていくことにもなると思います。

僕が営業をしている時に思ったのですが、商品を勧めている最中に、相手の購買意欲が高くなってくると、半分くらいは値段交渉をしてきます。

もうそろそろ、値切りにくるだろうなって感じたときは、先に値引きできない理由を説明したりしていました。

そう考えると、営業をして相手の気持ちを考える訓練になっていたのかなと思います。

なので、訓練っていうか場数の問題なのかなって思います。

繰り返していると、それが普通になってくることはあると思います。

自分を良く見せようとしないほうがいいと言われても、僕の場合はそれが難しかったので、良く見せようと思う気持ちがありながら、相手の話を聞いている体勢にすることで、少しづつ会話がかみ合うようになると思います。

文章が長くなってくると、いつも自分で何を書いているのか分からなくなってボーッとしてくるのですが、今がそうなのでこれくらいで失礼します。

実際のところ、治るのか治らないのか?どっちなんだよ!

対人恐怖症って、実際のところ治るのか、治らないのか。そこを疑問に思ってネットで検索する人が多いだろうなって思います。

ネットで情報を探すと、治ったという人は多いですし、「治ります」と書かれたサイトも多いですよね。病院のサイトやカウンセリングにも「治ります」って書いているのを見たことあります。

実際、僕自身は治りましたけど、人と会う時に緊張することもありますし、マイナスに考えることも当然あります。100パーセント治ったかどうかを聞かれれば、「100パーセントではない」っていう答えになるんだと思います。

対人恐怖症の判断基準が、「生活に支障があるか、ないか」ということなので、治ったかどうかの判断基準も、「生活に支障があるか、ないか」だと思います。

そもそも、「人に会う時にまったく緊張しない人間」を目指すことに無理があるんだろうと思います。僕の場合は、そこを目指していたので、自分に満足できずに苦しかったのかなって思います。

認知療法の自動思考でよくでてくる、白か黒かっていう考え方で、0点か100点で考えた時に100点じゃないと満足できない思考だったんだろうと思います。

認知療法では、「100点じゃないとダメ」という考えを、「80点でもいいですよ」という受け止め方にするということだと思うのですが、周りから見た自分が100点でないと受け入れられないという感覚だったのかなって思います。

逆に「100点じゃないとダメ」という考えだと、100点になることは、そもそも無理なので、いつまでたっても楽にならないのかもしれないです。

そういえば、僕が初めてカウンセリングに行って「どれくらいの期間で治りますか」と質問をしたとき、100パーセント治るまでの期間ではなくて、80パーセント治るまでの期間で説明してくれた記憶があります。

多分100パーセント治すことに意味がないというか、そもそも無理なんじゃないかなって思います。っていうか、対人恐怖のない人が80点なんですよね。

ここに書いている80点は、不安階層表的な点数のことで、人間性が80点とか、そういう意味じゃないです。

例えばですけど、対人関係が少し楽になってきたという人が、「自分はまだまだだ、100パーセントを目指さなければダメだ」と考えていたら、自分に厳しすぎるのかなって思います。

僕の場合がそうだったから、皆がそうだとは思わないですが、近い思考の人もいるかもしれませんね。結局、治るか治らないかでいうと、治るのだとは思いますが、人それぞれなので正直わかりません。

ただ、「生活に支障があるか、ないか」が判断基準なので、8割治れば良いのだろうと思います。

仮に、6割治ったけど自分的には、まだ辛いという時期の場合は、生活に支障があるので辛いですけど、逆に生活に支障がない環境にするのも、ありだと思います。治すのに時間が掛かりますから。

僕の場合は、それが、「人の少ない会社」だったり「会話が少なくても大丈夫な会社」だったり「外回りが多い会社」だったりしました。

そういう意味で転職を繰り返しながら、生活に支障はありましたけど、できるだけ支障のないようにしていました。

以前書きましたけど、それを逃げていると考えるよりも、前に進む手段と考えるほうが良いのかなって、僕は思います。まぁ、僕だけかもしれませんが。

そう考えると、森田療法って凄いなって思います。森田療法のことは詳しく知りませんけど。。。。

でも、今の生活に支障がある状態だと辛いから、支障のない環境を作って、そこで治療していくので効果があるんだろうと思います。知らないのに書いてごめんなさい。

どちらにしても、辛さの度合いに応じて環境を変えて生活に支障がないようにすることは、前向きな考え方なのかなって考えたりします。

対人恐怖でひきこもったとしても、実はそれが前向きな行動になっているのかもしれませんしね。できる環境でできることをするのは逃げることではなくて、前向きなんだろうと思います。

この記事は、批判コメントがきそうですが、もし「その考え方おかしいぞ!」って感じた人は、書き込んでくださいね。修正しますので。



嫌われる勇気のレビューというか感想文

「嫌われる勇気」というアドラー心理学の本を読んでみました。

来年の手帳を買おうと思って、書店に寄ったのですが、この本が並べてあるのに気付き開いてみると、対話形式だったので正直めんどくさいなーって思いました。

買わずにそのまま帰ろうかとも思ったのですが、「年間2位」っていうランキングに入っていたので、買っちゃいました。

読んだ感想なんですが面白かったです。面白いというか、今までの自分の人間関係の築き方が激変する予感がしています。

哲学っぽい考え方とかが嫌いな人にはオススメではないですが、僕は凄く気に入りました。

赤面症やリストカットや視線が気になる人のことが少しだけ出てきます。人付き合いが苦手な人や、自分がどう思われるのかが気になって生き辛さを感じている人にとって、今後の自分が大きく変わる可能性はあると思います。

僕がそう感じただけなので、実際のところは分かりませんし、人それぞれだと思います。

例えば、怒りについて書かれていて、今までにない受け止め方になるだろうと思いますし、怒りという道具を使う必要がないことに気付かされたりします。

一度読んで理解したつもりになっていますが、ほとんど理解できていないのが正直なところです。10回くらい読み直そうかと真剣に考えているところです。

認知療法トレーニングブックは読んでいて眠たくなりましたが、この本は読書が苦手な僕でも眠くならずに最後まで読むことができました。っていうか、久しぶりに夢中になって読んだ本です。

ちょっと自分にとってはバイブル的な本になりそうです。

誰かに嫌われても、それで悩まなくていい考え方とかが書かれています。本にも書いていますけど、実際に自分のものにするのに相当な時間が掛かりそうな心理学だと思います。

でも、すぐに解決できない問題を夜通し悩むのであれば、その時間を「嫌われる勇気」を読む時間に変える方がいいだろうと思います。

人それぞれなんで、絶対に良いとは言い切れませんが、僕的にはマジで良いです。正直、このブログで書いている自分の考え方の薄っぺらさを痛感しました。

もうそろそろ年末なので時間はありますから、もう一度じっくり読もうと考えています。ただ、欠点をあげるとすれば、ちょっと難しいのと、理解しづらい思考なところです。僕の場合は、完全に理解するのに何度も読み直す必要がありそうです。

でも、完全に理解できた時は、今までにない光景になるだろうと思いました。

以上、感想文でした。

「追記」

もう一度読み直してみましたが、対話形式になっているのが僕的には良かったです。よく考えると、対話形式なので自分がカウンセリングを受けているような感覚になるんだろうと思います。

人間関係が苦手な青年と、アドラー心理学を知り尽くした人との対話です。心理学を説明することで、青年の悩みを少しずつ解決させていき、最終的には「生きる意味」さえシンプルな答えを出してくれます。

旅人が迷った時に北極星を目印にすることで、迷わなくなりますが、この本には、人生に迷った時に目印になるものが書かれています。

もし、今人生に迷っているのなら、読んでみてはどうでしょうか。

仮に、自分には役に立たないと感じたとしても、アドラー心理学がどういうものかを知ることができます。アドラー心理学入門より、こちらのほうが、理解しやすいと思います。



なかみ検索で半分くらい読むことができます。

対人恐怖症でも結婚生活は上手くいくのか。熟年離婚しないために、今できること。

自分の周りの人の経験談を聞けば聞くほど、「こういう人もいるんだ」「ああいう人もいるんだ」と考えるので、そうならないように気を付けることが事前にできると思います。

例えば、ドーナツを食べ過ぎて糖尿病になったという人がいるという話を聞いて、「自分はそうならないようにしよう」と考えて、事前に糖尿病にならないようにドーナツを食べ過ぎないように気を付けることができます。

僕の経験を書くので、そうならないように気を付ける為のひとつの事例として参考になればと思います。

一度目の結婚生活のことは、どこかに書いたので詳しく書きませんが、妻に自分の対人恐怖症のことを説明していなかったので、上手くいきませんでした。

一般論は分かりませんが、僕の経験で実感したのは、「男はお金」です。稼がないと結婚生活は上手くいかないです。僕は男なので、男性から目線でしか書くことができませんが、そう思います。

夫婦間でケンカする原因といえば、「女性関係かお金」がほとんどだと思います。その他は嫁姑の問題などの身内が関係する問題が多いと思いますが、夫婦間だけで考えると「女性関係かお金」だと思います。

「お金」に関してですが、僕の場合は、人間関係が辛くて転職が多かったので、いつまでも給料が少ない(初任給レベル)状態でした。給料が少ないと現実問題として、夫婦生活は上手くいかない場合が多いのでは、と思います。

なので、できれば人間関係が嫌だとしても同じ会社で長くお世話になるか、定年まで働く方が上手くいくだろうと思います。ボーナスもありますし、退職金も多いでしょうし、社会保険は会社が半額負担してくれますから、老後も少しは安心だろうと思います。

実際に、僕自身が抱えている今の問題はこれです。対人恐怖症で転職を繰り返した結果なので、しょうがないことなのですが、同世代の知人などは、役職で給料が多かったりしますし、公務員だと給料も多いですし、安定していますので、ほぼ将来の不安がないと言っている人もいます(退職金も多いので)。

転職することのデメリットの大きさを痛感しています。

今は個人事業なので、転職を繰り返したことがデメリットにならないように努力はしていますが、現実はそんなに上手くいかなかったりします。

「お金があれば何でも上手くいく」とは言いませんが、お金が解決してくれることって事実多いので、あったほうがいいですよね。

カウンセリングに行こうと思っても、結構高いですし、家族が入院するってなった時にも、お金が必要になります。高額医療で8万円以上になったら、それ以上必要ない場合もありますが、それでも、部屋代や薬代などが別で必要になりますから、10万円前後掛かったりします。

なので、独身時代に貯金しておけば良かったなって少し後悔しています。

女性関係でいうと、僕は浮気をするタイプではないので問題はなかったですが、さすがに美人が通ると見てしまうので、ちょっとしたケンカにはなりました。でも、これは対人恐怖症は関係ないのでしょうがないかなって思います。

あと、これは僕の経験ではないのですが、テレビで熟年離婚した(された?)男性がインタビューを受けていて「今まで俺が食わせてきてやったのに」と愚痴を言っていました。

この言葉を聞いて「そりゃ、熟年離婚されるわ」って正直思いました。多分ですけど、典型的な熟年離婚だと思います。

男が仕事で稼いで、そのお金で生活させてやっている感覚だと思うのですが、それと同時に、主婦は家で家事をするだけで働いていないと考えているのだと思います。

一昔前なら、亭主関白とかが普通だったので、そういう考え方もありなんでしょうけど、すでにそういう時代は終わっているんだろうなって思います。

ちょっと違う話ですが、会社でもそうですよね。特に不動産関係は未だにそういうのがあるみたいですけど、営業部のある会社とかだと、「営業が仕事を取ってきているんだから、営業マンがいちばん偉い」みたいな発想の人がいます。

それと同時に事務員は事務をしているだけで、楽な仕事だと勘違いしてたりします。熟年離婚する(される)パターンと同じなんだろうなって思います。

役割分担なので、どっちが偉いとかは基本的に無いと思うのですが、実は僕自身もこういう考え方をしている時期がありました。

一度目の結婚生活が上手くいかなかった原因のひとつでもあるように思います。

あと、旦那は妻の家族を大切にして、妻は旦那の家族を大切にする考え方も必要なのかなって思います。僕が辛い時期は自分のことで精一杯だったので、妻に対してもですが、妻の家族への思いやりがなかったと感じています。

自分が辛い時期なのでしょうがいないのですが、「辛い時期はそうなってしまうものだ」と自分で理解できていれば、もっと上手く対応できたのかなって思います。

僕の場合に限ってのことなのかもしれないですが、妻の家族の出来事に関して、どこか他人事のように感じていました。様々な場面で、そういうズレみたいなのが積み重なって、離婚になったのかもしれないです。

今は、そういう経験をした後の、2回目の結婚生活なので、なんとか上手くいっているのだと思います。妻もバツイチなので、そういう意味でお互いに一度目の結婚を反省した結果なのかなって思います。

当たり前の話かもしれませんが、できれば、結婚は一度だけで上手くいくほうがいいですよね。離婚を決断する前に反省したり事前に気を付けていれば上手くいくだろうと思います。

書くことは沢山あるのですが、長くなるので、これくらいで失礼します。
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