対人恐怖症が治りました

ひきこもり、社会不安障害(SAD)の方にも、お役に立てると思います。

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他人が怖いということ

加藤諦三さんの本(賢い生き方・愚かな生き方)のあとがきに、こう書かれていました。

「他人が怖いということは、他人が自分に要求しているもの、期待しているものが、自分にはない、と感じるからである。そういう人には、他人の要求に従わなくても人間は愛されるのだということがどうしても信じられない。自分は他人の期待にかなったときのみ、他人に愛されると信じている。自分は他人の期待にかなったときのみ愛されるというのは、言葉をかえていえば、愛を信じられないということである。つまり他人の期待にかない、他人に好かれることで自分を守ろうとしている人は、自分も他人も信じられない人にすぎないということである。他人の要求を満たし、好意を得ようと努力している人は、相手に尽くしているつもりになっている。しかし、相手を信じていないし、したがって相手を侮辱していることになるとは気づいていない。」

この本の一章から読んでいくと、深く理解できると思います。ちょっと古い本なので販売されているかどうか分かりませんが、興味のある方は読んでみてください。

僕の場合は、この本を読んで、まさにそうだと感じました。

例えば、中学生になった時に、クラスの子と仲良くはなりましたが「自分は相手の期待には応えることができない」と感じていました。

相手から何か要求があって(実際は自分が感じていただけ)、それに応えないとダメだという感覚はあったと思います。

明るい子の前では、同じように明るい性格の自分でなければイケないと感じたり、ちょっと不良っぽい感じの子の前では、同じように不良っぽい感じの自分でいなければと感じていたと思います。

ようするに、八方美人的な考えで、皆から好かれよう、受け入れられようとしていたんだと思います。加藤諦三さんの言うように、相手の期待に応えなければ、認められない、愛されないと感じていたと思います。

逆に、相手の期待に応えなくても自分は愛されると思うことができていれば、対人恐怖症になっていなかったんだろうと思います。

でも、なったものはしょうがないので、原因は色々あるでしょうけど、原因を明確に知ったからと言って意味がないっていうか、次の世代の人たちの対人恐怖を全て防ぐことはできませんし、なった場合にどうするかを考えるほうがいいのかなって思います。

養老孟司(ようろうたけし)さんの自分の壁という本の中でメタメッセージのことが書かれていて思い出したのですが、固定観念みたいなものだと思います。

「メタメッセージとは、そのメッセ―ジ自体が直接示してはいないけれども、結果的に受け手に伝わってしまうメッセージのことを指します。」

幼い頃に、自分にインプットしたのか、されたのかわかりませんが、「期待に応えないと愛されない」という感覚になっていたと思います。

この間違った記憶を上書きするには、やはり、「期待に応えなくても愛される」という感覚を少しづつ経験していく必要があるのかなって思います。

例えば、「相手は自分の笑顔を期待している」と感じた時に、無理に笑顔にする間違った努力ではなくて、「笑顔じゃない自分」をだして、それでも受け入れられるという経験が必要なのかなって思います。

僕自身は、「相手は自分の笑顔を期待している」と感じた時に、平気で無表情でいることができるようになりました。正直、「無表情で面白くない奴だな」と感じて、僕のことを好きじゃない人はいると思います。

でも、100人いて、100人に好かれる人って、それはそれはで問題だと思いますし、気の合わない人って必ずいますしね。

なので、結論として、間違った努力をしていれば、それを少し減らして、正しい努力にかえることで、少しづつ対人恐怖を克服できるんじゃないかなっていうことです。

対人恐怖症って、人が怖いんじゃなくて、自分がどう思われているか、が怖いのだと思います。

人より、ちょっと自信がない状態なだけで、本当は自信をなくすほど自分が劣っているとか、そういう劣等感って持つ必要なかったりすることは多いと思います。

何が上で、何が下かって考えたときに、上下はなくて、平面で右往左往しながら生きていくのが人間だろうと思います。

アドラー心理学入門に気になることが書かれていたので紹介します。

トランプをしているとき、
「ごめん、今のなかったことにして、もう一回やらせて」という人がいたらゲームの楽しみはなくなります。ゲームに負けたからといって怒る人がいたらゲームはつまらないものになります。その意味で真剣にプレーしなければなりません。しかし負けたからといって命を絶つことはないのです。深刻でなくてもいいのです。

こんなことが書かれていました。受け止め方は人それぞれだと思います。ただ、これはゲームの話で誰かに勝てば自分が勝ちというゲームです。

仮に、自分に配られたカードが悪かったと感じた時に、どう考えるのかが人生だと思います。(人生をゲームと考えるのなら)

配られたカードが不運だったと苦しむのか、配られたカードでどれだけのことができるかを考えて、出来る限りのことをするのかだと思います。

人生に勝ち負けがあるのなら、与えられたもので出来る限りのことをして、自分が満足すれば勝ちですし、満足しなければ負けなのかなって思います。

今の自分が何点のできなのかは関係ない、どう進むのかが大切だと思います。





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人間とアリ

ため息をつき、鏡に映る自分を見て嫌になる、そしてため息。今日のできごとを思い出して憂鬱になり、身体全身が重たく感じる。涙がでそう。でもでない。

下を向いていると涙がでそうになる。このまま下を向いていると涙がでそう、これではダメだと思い、上を見る。

上を向いて部屋の天井を眺めてみた。でも何も変わらない。上を向いても何も変わらないということで涙が出た。「上を向いたほうが涙がでる」ことを知った。

人は何故、落ち込んだ時に上を見ようとするのだろうか。もしかすると、落ち込んだ時、下を向いていれば楽なのかもしれない。それでも、上を見ようと頑張ってみる。上を見れば何かが変わりそうな気がする。

先のことは分からない、でも上を見ようとする。

「そんなに頑張って上を向かなくてもいいよ」と声が聞こえてきた。確かにそうだ、下を向いて涙がでそうなら、泣けばいい。大声で泣けばいい。

「泣いてはイケない」ということはない。自分のことは自分で決める。泣いたら弱虫だと思われる。でも、今はそんなこと関係ない。自分が泣きたいから泣いていている。ただ、それだけ。

涙が出て、ちょっと楽になった。

周りを気にせず自分の感情が出せたとき、少し楽になって、少しだけ自信がついた気がする。「そうか、これだけのことだったのか」と答えが見えた気がした。

「自分の居場所がない」と感じていたのは、これか、と思った。自分の感情が出せる場所が「自分の居場所」なんだろうと感じた。

自分の居場所があれば、なんとかやっていける。

自分の居場所は自分で見つけないと、誰も見つけてくれない。ただ、自分の居場所、自分の感情をだせる場所を探すのは難しそうだと感じた。

でも実は、どこにでもある。それが目の前の人だったり、今日出会った人だったり、友人だったり、恋人だったりする。それに気づくのが、ちょっと遅れたけど、まーいいや。なんとかなるだろう。

自分の求めているものは、意外に近いところにあることは多い。ちょっとした勘違いで進むべき方向がズレてしまった。

上から地面を見ると、沢山のアリが右往左往している。小石があれば避けながら進み、アリ同士が向かい合えば少しだけ会話して、また進む。

右に進むアリもいれば、後ろに進むアリもいる。どっちが前なのかはわからない。自分が進んでいる方が前だと、それぞれのアリは認識している。

平面を歩くアリと、人間は同じだと思った。上空から眺めると様々な人が色々な方向に歩いている。まるでアリの様。

壁に当たってしまったとき、逃げるのか、立ち向かうのか。

以前、コメント頂いた方に養老孟司(ようろうたけし)さんのことを教えて頂きました。正直、ちょっと名前を知っている程度だったのですが、自分に生い立ちが似ていると感じたので、「「自分」の壁」という本を読んでみました。

218ページに少し気になる部分がありました。

自信を育てるのは自分

「目の前に問題が発生し、何らかの壁に当たってしまったときに、そこから逃げてしまうほうが、効率的に思えるかもしれません。実際に、そのときのことだけを考えれば、そのほうが「得」のようにも見えます。ところが、そうやって回避しても、結局はまたその手の問題にぶつかって、立ち往生してしまうものなのです。」

こんなことが書かれていました。

確かにそうだと感じました。自分の人生を振り返ってみても、その通りです。後回しにしてみても、結局はやらないと前に進めないことは多いです。

「壁」は人それぞれだと思いますが、僕の場合は「壁」という言葉から、どうしても対人恐怖症をイメージしてしまいます。対人恐怖症で人付き合いが苦手だった場合に、そこから逃げても、いづれ同じような困難が訪れて立ち往生してしまいます。という意味で考えてみました。

例えば、人付合いが苦痛で耐えきれず、転校して、一から新しい学校に通うことになった場合に、新しい学校でも人付き合いで苦労する確率は高いと思います。そういう意味で納得できると感じました。

ただ、養老孟司さんは対人恐怖症のことをイメージして文章を書いているわけではなくて、自己啓発的な考え方で書いているのだと思います。

個人的な考えですが、自己啓発、願いは叶う、プラス思考などの本を読むときに、自分に対人恐怖があると感じている人は、読むときにちょっとだけ注意が必要なのかなって思います。

何故かというと、対人恐怖症は逃げる時期が必要だと思うからです。

「逃げずに壁を乗り越えろ!」と言われても、無理なものは無理ですから、どうしても無理なときは逃げるのが正解だと思います。

例えば、学校でいじめられて、「逃げずに壁を乗り越えろ!」と言われても、どうしても無理な場合ってあるでしょうし、どうしても無理なら家にいたほうがいいです。

それを「逃げること」と受け止めるのか、乗り越えるための経由点と考えるのかは人それぞれだと思います。

僕が高校生の時に、なんとか卒業はできましたけど、休む日が多くて「あのクラスに登校拒否してる子がいる」という噂になったこともありました。

当時、学校を休むことを「逃げること」と考えていたので、休んだ自分が嫌になっていました。多分、悪循環になっていたと思います。

「逃げる」ことは、乗り越えるために必要な場合もあると思います。逃げながら、少しづつ乗り越えるっていうか、上手く言えないですけど、そんな感じだと思います。

対人恐怖症の壁ってデカすぎるんですよね(僕の場合は)。実際は小さな壁なんですが、物凄くデカく見えてしまうものだと思います。

なので、気合で解決するとか、そういうのが難しいのだと思います。

僕は、転校したいって何度も考えましたし、社会人になってからは、ある程度自分の思うようにできますから、人付合いが苦痛だったので転職を繰り返しました。

それは「逃げている」から、同じ壁にぶち当たっているということになるので、養老孟司さんの言われていることは、まさにその通りだと思います。

当時、転職を繰り返していた時期は、僕には必要な時期で、自分で最善の選択だと考えて転職していましたが、周りからすると、「逃げている」ことになりますし、自分自身でもそれは感じていました(これは逃げているだけなんじゃないかとか)。

でも、今、振り返ってみると、それで良かったと思います。

自分なりに頑張っていたつもりでしたが、逃げながらでないと無理だったんだろうと思います。逃げながらなんとか乗り越えられたので、正解だったのかもしれません。

「逃げる」ことは、乗り越えることの一部で、乗り越えるために必要だった気がしています。人それぞれの考え方があると思うので、違う意見も多いと思いますが、僕の考え方で書いています。

僕にとっては、正解だったのかも、ということです。対人恐怖症って症状が様々ですし、重度、軽度とかあるでしょうし、うつ病、パニック障害、拒食症、過食症があったりしますから、それぞれだと思います。

転職を繰り返すことのデメリットって大きいですから、僕が軽い気持ちで、正解だったとは言い切れませんし、もし、転職を考えている人はじっくり考えて頂きたいです。




初めてカウンセリングに行ったっとき、ショックが大きかった。

当時、視線恐怖なんて言葉があることを知らずに、25才くらいまで苦しみました。

自分のことを「人見知りの激しい、ちょっと頭のおかしい人」と考えていました。自分だけの症状で、何が何だか理解できずに、気合で解決しようとしたりしていました。

今は、ネット環境が整っているので、良い時代なのか悪い時代なのかわかりませんが、当時の僕だったらネットがあったほうが助かったんだろうと思います。

以前、書きましたが、駅のホームでカウンセリングの看板を発見して、初めて「視線恐怖」という言葉を知り、自分は「視線恐怖症だ!」と確信しました。医師に診断されたのではなくて、自分の中で「これ以外に考えられない」と思いました。

すがる思いで、カウンセリングに電話をかけて、始めていったときに、僕の中では「これで治るんだ」と考えていました。未来が明るくなったのと、不安な気持ちがあったことを覚えています。

ある程度のお金が掛かっても治るんだったら、これからの人生は明るい。だったら意地でもお金を準備しようと思いました。

仮に、借金したとしても、治るんだったら、治ってからバリバリ働けば、なんとかなるだろうと考えて、やる気満々っていうかテンションが上がっていました。

そして、初めてカウンセラーと話をしたときに、「ずっと、落ち着ける場所がなかったんですね」と言われて、涙がでました。僕が泣いているのを見て、カウンセラーはもらい泣きをしていました。

やっと、自分を理解してくれる人に出会えたと感じました。

そのあと、今後のスケジュールというか、どうしていくかについて話したり、料金のこととか、週何回くれば治るのかとか、いつ治るのかとかを話し合いました。

あまりにもショックだったので、ずっとブログに書きませんでしたが、「治るのに悩んできた年数と同じ年数かかる」と言われました。

僕の場合でいうと、何歳から対人恐怖になったのかわかりませんが、いちばん辛かったのが高校3年のときだったので、そこから計算すると最低で8年くらいは掛かることになります。

病名があるくらいだから、数か月くらいで治るかもという期待をしていましたが違ったようです。現実を知り、ショックでした。

今、振り返ると、カウンセリングに通わなくなったのもあり、その年数よりも掛かってます。ただ、これは15年前とかの話なので、現在はどうなのかわかりませんが、病院のホームページとかを見ると、「2年くらいでよくなっている」とか書いてあるので、治療法が出来上がりつつあるのかなって思います。

なので、早めに、こういった専門のところに相談に行ってみることが、最優先だろうと思います。

専門のところでも、ある程度の期間が必要だという現実がある以上、「すぐに治ります」「これで人生バラ色です」などのキャッチコピーがあったとして、誘惑に負けない賢い選択をしたほうが無難です。

「苦しい、苦しい」と言いながら、何もしない。「できない、できない」と言いながら、努力しない。それが僕でした。できる場所で、できることをする。それが正解なのかもしれないです。

まず、自分を知ることが大切で、そのために、本を読むことは大切だと思います。加藤諦三さんの本を、覚えるくらい繰り返し読むことで、治るとはいいませんが、状況は少しづつ変わっていくと思います。

人生やり直したいと考えることはあります。例えば、中学時代にもどって、自分の行動を変えれば、今の自分はもっと上手くやっているだろうと考えたりします。

しかし、実際は戻れません。

多分、10年後の自分は「10年前に戻ることができれば、、、、」と願う。そう考えると、今の自分がやるべきことが見えてくるような気がします。

今のまま10年生きるとどうなるか、10年後の自分をイメージすることができます。その10年後の自分が10年前の自分(今の自分)に戻ってやりたいと思うことを今やることができれば成長できるだろうなって考えたりします。

ちょっと頭がこんがらがってきましたけど、僕自身は今できることを頑張ってみようと思います。

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