対人恐怖症が治りました

ひきこもり、社会不安障害(SAD)の方にも、お役に立てると思います。

いつも無愛想で嫌そうな表情をする人

僕の場合の対人恐怖は、人に会う時には常に無愛想で嫌そうな顔になっていました。なぜかというと、自分の表情や視線にとらわれていて、「視線をどこにおこうか」「表情をつくらないとイケない」などと考えていて、人に会うことが苦痛だったからだと思います。

人に会うことが苦痛であれば、人に会った時に「いつも無愛想で嫌そうな表情をする人」になってしまいます。そこで、そう思われないように、無理に笑顔を作ったり、視線が気になっていないフリをすることが多かったです。

フリをすると疲れますし、背伸びをすると緊張するので、余計に「いつも無愛想で嫌そうな表情をする人」になる悪循環になっていたと思います。

しかし、よく考えてみると、友人などに会う時に自分の表情や視線にこだわっているのは自分だけで、相手は「それ」へのこだわりはありません。

「症状にとらわれている自分」と「症状にとらわれていない相手」の間には、当然ですが壁ができますし、会話していても噛み合わなくなります。

会話の時に自分の頭の中の大半は「症状をどうにかしよう」と考えています。しかし相手は「それ」へのこだわりがないので、症状のことは考えもしていません。

結局、僕は何が言いたいかというと、症状が気になるのはしょうがないことですが、それを押さえつけようとするのではなくて、「それ」もありながら会話することが、相手への礼儀だということです。

自分の症状を隠そうとしたり、フリをすることはありますが、この状態では相手との会話が噛み合わなくなりますし、自分のことしか考えていない「わがまま」な状態だと思います。

「それ」へのこだわりがない相手と会話するときの礼儀として、「それ」がありながらでも会話することが大切かもしれません。

自分が表情や視線にこだわっていることは相手は知りませんし、気付きませんから、そのことで「いつも無愛想で嫌そうな表情をする人」になっていることも相手からすると理解できないと思います。

「それは誤解です」と心の中で叫んでも、相手には伝わりません。対人恐怖になれば、こういう誤解が生まれるのはつきものだと僕は思います。

「しょうがないこと」ではありますが、「それ」へのこだわりのない相手に理解してもらうことは難しいことだと思います。

なので、会話するときに、「それ」がありながらでも会話することが相手への礼儀だと思いますし、そうすることで少しづつ楽になっていくと思います。

内に向いているエネルギーを、外へと向けることができるようになると、ストレスから解放されて楽な気分になっていきます。

何もかもマイナスに考える状態であっても、少しづつ楽になります。

もしかすると単純な話で、下を向いて歩いているのを辞めて、前を向いて歩くことで解決できるのかもしれません。

「愛情が欲しい」と思うのであれば、「愛情を与える」のがいちばん早い道なのかもしれません。愛情を与えることができると無理に笑わなくても、自然に笑顔になるのだと思います。

以前書きましたが、誰かと会話するときに「手を止める」ことが礼儀ですよね。「ちゃんと聞いていますよ」という相手へのメッセージになります。

ただ、症状があると僕の場合は、「もじもじ」したり、なぜか動いてしまいます。しかし、ちゃんと話を聞こうと思いやりを持つことができると、もじもじせずにジッと話を聞くことができるようになります。

人に会う時は症状がでますが、それを隠そうとしたりフリをするのではなくて、「それ」がありながらでも会話することで相手は気分が良くなりますし、自分も楽になれると思います。

人それぞれですが、僕の考えです。

手が震える人は手が震えながら会話するということです。
視線が気になる人は気になりながらでも会話するということです。
表情が気になる人は表情が気になりながらでも会話するということです。

「手が震えないように、視線が気にならないように、表情が気にならないように」することが間違った努力で、その努力でクタクタになるのであれば、正しい努力でクタクタになるほうが良いと思います。